2019.7.25(木)

想像力がちょっとだけ世界を生きやすくする 坂田雄平さん

    

 

坂田 雄平(さかた ゆうへい)

宮古市民文化会館館長補佐・プロデューサー、三陸国際芸術祭プログラムディレクター

 

プロフィール:盛岡市出身。1980年生まれ。桜美林大学を卒業後、2003年より同大学舞台芸術研究所チーフとして付属劇場の立ち上げに携わる。07年より一般財団法人地域創造で演劇事業や調査研究事業を担当。12年から福岡県の北九州芸術劇場で演劇・ダンス事業のほかフェスティバル事業、領域横断型プロジェクトを担当。現在は、NPOいわてアートサポートセンターにて宮古市民文化会館館長補佐・プロデューサーを務めるほか、岩手県文化芸術コーディネーター、三陸国際芸術祭プログラムディレクター、(一財)地域創造の現代ダンス活性化事業コーディネーターなどとして、県内外を問わず舞台芸術の企画や運営に携わっている。

 

何か新しいことをはじめている人、何かを発信している人。そういった人の多くは、何かしら自分なりの「哲学」を持っているように思えます。「自分が大切にしたい哲学」を考え、見つけることは、新しいことを始めるときの手がかりになるのではないでしょうか。「いわてつがく」は、そんな思いのもと、さまざまなフィールドで活躍する人たちの「哲学」を紐解いていく連載です。

 

舞台芸術のプロデューサーやコーディネーターを務める盛岡市出身の坂田雄平さん。現在は盛岡市や宮古市のほか全国各地で、地域とアートをつなげるプロジェクトデザイナーとして、演劇やダンスなどの手法を用いた社会問題解決に力を注いでいます。

 

学校も社会も自由が制限されているけれど、表現や芸術の世界は自由

-演劇に興味を持ったきっかけはなんですか?

高校三年生の時、父が演劇をしていたこともあって、東京・渋谷の小劇場の舞台に少しだけ出演させてもらう機会がありました。そこは寺山修司ゆかりの劇場で、その時初めて寺山修司が書いた言葉を聞いて、その美しさに衝撃を受けました。劇場では、普段は真面目に働いている人たちが、自由に表現を楽しんでいました。私はちょうどその頃、学校を休んで自転車で旅に出たりしていて、学ぶということへの疑問を感じている時期でした。そんな時、演劇に出会って、世界というのは自分が思っているよりも、もっと自由なのだと感じました。学校も社会も自由が制限されているけれど、表現や芸術の世界は自由が保障された場所だと感じ、自分に向いているかもしれないと思いました。東京からの帰りの新幹線で、寺山修司の言葉を読みながら、そんなことを考えていました。その後、高校3年生のゴールデンウィーク明けから演劇部に入りました。

宮古市民文化会館での企画「ゼロからはじめる中高生のための演劇シリーズ」より、ブルーエゴナク 『WE』舞台写真(©井田裕基)

 

 

-その頃から演劇を仕事にしようと思っていたのですか?

演劇を仕事にする気はありませんでしたし、当時は心理学に興味があったので、母校の桜美林大学では心理学を専攻しました。一方で、私が入った心理学科と同時期に演劇も学べる総合文化学科が新設されました。そこでは全学部生を対象としたオーディションが年に何回かあって、そこで選ばれた人は誰でもプロと一緒に舞台づくりができるというチャンスがありました。私もそれに応募し、男子生徒の応募は少なかったこともあって、すんなり参加する機会を得ました(笑)。そこで劇作家・演出家の平田オリザさんと出会ったことをきっかけに、2年生になる前に総合文化学科に転科しました。平田さんからは、「大学は社会実践の場だから、ベンチャー企業を立ち上げるつもりで作品をつくった方がよい」ということや、「作品づくりと一緒に地域の文化拠点として劇場の運営を考えなさい」というミッションを与えられていて、学生時代から、プロデュース公演やツアー公演、地域通貨を使った劇場運営を行ってきました。こうした活動の受け皿となる劇場施設が学内にあったことは幸運でした。また、大学ではセカンドベストを見つけることも示唆されていたので、学生時代は演出を学んでいましたが、卒業後は劇場運営の道に進みました。大学では「それぞれが地域に帰ったときに、その地域の文化の担い手になりなさい」とも言われていたので、そういう意味で地域の文化拠点となる劇場運営の道に進むことに迷いはありませんでした。

宮古市民文化会館で企画した「ゼロからはじめる中高生のための演劇シリーズ」より(©井田裕基)

 

 

社会の中に、心を動かす仕掛けを入れて、新しい価値をつくる

-卒業後はどういう仕事をされていたのですか?

大学の舞台芸術研究所で劇場運営の仕事をしていました。その後、地域創造という財団に勤め、全国の文化施設との仕事を通じて、それぞれの施設が地域の中でどういう役割を担っているか知ることができました。その後は、北九州芸術劇場という、大きな規模の事業を行う劇場で働きました。この劇場では、公演を行うだけでなく、舞台芸術をどういうふうに社会とつなげていくか、ということに重点を置いた取り組みを数多く行っていました。

 

-具体的にはどのようなことですか?

例えば、福祉の分野であれば、障害がある人もない人も誰もが一緒に参加できるようなダンスを作ったり、観光という分野であれば、俳優が工場夜景クルーズを演劇的に案内したり、スポーツという分野であれば、地元のプロサッカーチームと一緒に、誰でも参加できる応援ダンスを作ったりという活動です。文化や芸術はたくさんの分野と結びつくことが可能です。教育・福祉・観光・産業・まちづくりなどに、文化芸術の力で「参加の機会の保障」や「心を動かす仕掛け」を付加して、社会の中に新しい価値をつくる、ということを目指していました。

プログラムディレクターとして企画運営に携わった三陸国際芸術祭(2019年2月11日)『三陸芸能列車』の車内(©井田裕基)

 

魅力的な地域や職場を作ると、町の活力も上がる

-仕事をする上で大切にしていることはなんですか。

その仕事におけるミッションは何かを、まず一番に考えることにしています。ミッションを知ることで、そこに潜む課題や、なすべきことも見えてきます。例えば、移住定住の促進をミッションにするなら、働くことの魅力を高めることを課題にしましょうと。では文化芸術の力で職場環境にどんな付加価値を生むことができるかを想像していく、という流れです。町の活力を上げるためには、魅力的な地域や会社がたくさんあった方がいいことは言うまでもありません。でもどのようなアプローチをすればよいのか、そこをイメージすることが難しい。私は文化や芸術というこれまでにない要素を加えることで、多様な課題に対して新たなブレイクスルーの方法を提案できるのではないかと考えています。

三陸国際芸術祭『三陸芸能列車』(2019年2月11日)の出演者ら(©︎井田裕基)

 

-「想像」、という言葉を大切にしていますが。

芸術には答えがないので、常に想像力を要求されます。まだ形にならないことに対して向き合う時間を持ち、これはどういったことなのかを、いろんな情報を得ながら想像します。劇場という場所の魅力は、その時間を提供しているからです。劇場に足を運べば、例えその作品が分からなかったとしても、2時間は座って観るという行為しかできないので、嫌でも想像力を引き出さざるを得ない(笑)。いまの社会を生き抜くには困難な課題がたくさんありますよね。劇場で想像することの練習をしておけば、ちょっとだけ世界を生きやすくすることにつながるのではないかと思います。

宮古市民文化会館の客席にて、劇作家・演出家穴迫信一氏との対談より(©井田裕基)

 

-最後に、これから新しいことに挑戦しようとしている岩手の若者にメッセージをお願いします。

これからは人口が減少するので、今までと同じ20年間を繰り返すことはできない。では、どんな時代を作るのか。そこには、未来を想像する力がとても重要になるため、分からないことと向き合いながら、自分を育てる時間を大切にして欲しいと思います。想像することにはお金もいらないし、人も選びませんから。

 

 

宮古市民文化会館(リンク:https://iwate-arts-miyako.jp/

三陸国際芸術祭(リンク:https://sanfes.com/)

 

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