2020.1.30(木)

映画を撮ることで、社会を少しでもプラスの方向に 都鳥拓也さん、都鳥伸也さん

    

都鳥拓也さん(左)、都鳥伸也さん(右)

 

都鳥 拓也(とどり たくや) 企画・製作・撮影・編集

都鳥 伸也(とどり しんや) 企画・製作・監督

 

プロフィール:北上市出身。1982年生まれ。2004年、日本映画学校(現・日本映画大学)卒業後、映画監督・プロデューサーの故・武重邦夫氏が主宰する「Takeshigeスーパー・スタッフプログラム」に参加。地域の文化に根差した映画の発信を目指し、企画・製作・配給について学ぶ。2008年、旧沢内村の「生命行政」をテーマにした「いのちの作法 沢内『生命行政』を継ぐ者たち」を企画・プロデュースしデビュー。2012年「希望のシグナル 自殺防止最前線からの提言」、2014年「1000年後の未来へ 3.11保健師たちの証言」、2015年「響生-きょうせい- アートの力」、2016年「増田進 患者さんと生きる」、2017年「OKINAWA1965」、2018年「私たちが生まれた島 ~OKINAWA2018~」など作品を発表し続けている。2017年には、初のドラマ作品として岩手復興ドラマ「冬のホタル」を兄弟で共同監督。2019年4月から地元北上市に眠る戦争の記憶を追った「戦争の足跡を追って -北上・和賀の十五年戦争-」を製作中。

何か新しいことを初めている人、何かを発信している人。そういった人の多くは、何かしら自分なりの「哲学」を持っているように思えます。「自分が大切にしたい哲学」を考え、見つけることは、新しいことを始めるときの手がかりになるのではないでしょうか。「いわてつがく」は、そんな思いのもと、さまざまなフィールドで活躍する人たちの「哲学」を紐解いていく連載です。

子どもの頃から大好きだった映像の世界。双子の兄弟である撮影・編集の拓也さんと、監督の都鳥伸也さん、「人を支える人」に焦点を当てたドキュメンタリー映画を通じて、温かなまなざしで地域や人を見つめ続けています。

 

特撮を入り口にだんだん世界を広げていった

-映画を制作するようになったきっかけを教えて下さい。

拓也:子どもの頃に「ウルトラマン」の舞台裏を描いたテレビドラマを見て、映像制作の仕事に興味を持つようになりました。小学生の時に、転校してきた子と仲良くなって、その子が持っていたビデオカメラを使って、特撮映画を作るようになったんです。それから高校生になるまでいろいろな作品を撮ってコンテストにも応募しました。

伸也:特撮ものをたくさん見ていくと、自分たちにとって面白い作品とあまり面白くない作品の特徴が分かってきたんです。何が特徴かというと、特撮ものだけやっている監督が撮った作品よりも、ホームドラマや青春ドラマ、ミステリー、サスペンス等といった特撮以外のジャンルも手掛けてきた監督が撮った作品の方が面白いんです。そのことに中学生くらいで気がつきました。そこで、特撮だけ撮っていてはいけないと思い、特撮以外の映画の勉強をはじめました。

拓也:最初の『ゴジラ』を監督した本多猪四郎さんが、黒澤明監督の友達で、晩年は黒澤映画に出演補佐として携わっていたこともあり、それをきっかけに黒澤映画を見るようになりました。特撮の世界を入り口にだんだん世界を広げていった感じです。ちょうど高校1年生の時に黒澤明監督が亡くなって、テレビで追悼特集をやっていたんです。それを録画して何回も見たりもしました。そういうこともあって、脚本やドラマの組み立て方を学びたいと思い「日本映画学校」という故・今村昌平監督が創立し、理事長を務めていた専門学校に進みました。

伸也:映画学校の入試の目的に「ちゃんと脚本が書けるようになりたい」って書いて、変わってるなって言われました(笑)。専攻が分かれる2年生から、2人とも映画演出コースに進みました。映画学校は脚本をとても大事にしていて、1年生の夏休みには200枚の脚本を書き上げるという課題があり、ドラマの組み立て方を学びたいという意欲にはぴったりの環境でした。

 

-卒業後はどうしていましたか?

拓也:2004年に卒業して、映画プロデューサーの武重邦夫さんの勉強会に参加しました。勉強会をしながらアルバイトを続けて、映画の企画を作っていました。その中で、最初のプロデュース作品となった「いのちの作法 沢内『生命行政』を継ぐ者たち」が生まれました。その頃、武重さんのプロジェクトの中に、地方の魅力を発信する「青春百物語」という、まちおこしのシリーズ企画がありました。1県2~3作、全国で100作の青春映画を5~10年計画で製作し、それを地域活性化につなげようというものでした。そこで僕たちは、地元である岩手を題材にどういうドラマが書けるか、その地方だからこそ書ける企画を探していくことになりました。

当時は、「岩手には何もないし、つまらない」、「北上にも何もない」と思っていたので、勉強し直すことにしたんです。そんな時に青山の古本屋で「村長ありき」という旧沢内村の深沢晟雄村長のことを書いた本を見つけたんです。そこで、ちょうどプロデューサーとして新潟県の旧山古志村のドキュメンタリーを製作したばかりだった武重さんとも、地域に眠っていたり知られていなかったりする話を、掘り下げてドキュメンタリーにして、地域おこしにつなげていけばいいんじゃないかという話になりました。

伸也:「青春百物語」がなかなか実現せず、そのためにも何かプロジェクトの看板になる作品を作りたいと考えていた武重さんも、旧沢内村の話に興味を持ってくれて、2005年の8月から「いのちの作法」の企画に取り組み始めたんです。

拓也:とりあえず沢内村に行ってみましょうということになって、そこから8、10、12月に調査をやりながら、沢内で応援団ができて。

伸也:調査を経る中で、たくさんの人や活動と出会い、映画の内容の主軸となるものが見えてきました。

ドキュメンタリーへの思いを語る兄・拓也さん

 

-「いのちの作法」がUターンするきっかけになったんでしょうか?

拓也:映画を撮ることになって、2006年の2月には自分たちも岩手に帰って来ました。

伸也:2005年中は東京から通う形で調査を続け、2006年の2月に武重さんから「君たちは帰って撮影の準備をするように」と言われました。二人とも車の免許を持っていなかったので、北上に帰ってまず一番最初にやったのが免許を取ることでした。

拓也:それから沢内の人たちと一緒に、当時の増田寛也知事を表敬訪問し、記者会見を開いて、いい意味でお祭り騒ぎになったんです。旧沢内村の話なので、西和賀町の人が応援してくれれば十分なんですけど、僕たちが北上出身ということもあって、北上市民の人たちも協力してくれて応援団ができました。

伸也:今まであんなに応援してもらったこともないというくらい、たくさんの人に協力してもらいました。

拓也:「いのちの作法」がなければ、今もありません。全部そこから始まっています。「いのちの作法」をやったから、盛岡の児童養護施設みちのくみどり学園に焦点を当てた「葦牙-あしかび- こどもが拓く未来」ができて、その上映会に協力してくれた女性が、秋田県で自殺対策をやっている人たちを紹介してくれたことがきっかけで秋田の自殺対策を追った「希望のシグナル 自殺防止最前線からの提言」を製作することにつながりました。その後震災があって、「いのちの作法」の時に知り合った保健師さんから連絡をもらったことをきっかけに「1000年後の未来へ -3.11 保健師たちの証言-」を撮ることになりました。

「いのちの作法」の撮影当時を振り返る弟・伸也さん

 

映っているっていうことは、本当にこれをやっていたということ

-どの作品も「人を支える人」をテーマにしているように思いますが。

伸也:この人は面白いなと思うのが、そういう人であることが多いですね。逆に言うと、誰かを支えているような人じゃないとあんまり魅力を感じないのかもしれません。

拓也:ドキュメンタリーだからそういう人を撮った方がいいと思うんです。個人の心境を描く映画ならばドラマの方が良いのかも知れないけど、ドキュメンタリーは「こんなこと本当にやる人なんていないよ」とか、「偽善じゃないの?」と思ったりするようなことを、実践できている人を撮る方が大事だと思っています。人間の過激な部分や欲望を撮るんだったら、ドラマの方が表現できると思うけど、ドキュメンタリーだったらそういう心理描写は無理です。やったつもりでも、できていないですから。どうしても形だけになってしまうと思う。

伸也:この人はドキュメンタリーじゃないと描けないという人を選んでいくとそうなるんだと思います。

拓也:「映っているっていうことは、本当にこれをやっていた」ってことだから、すごく説得力があると思うんです。そこがドキュメンタリーの魅力だと思います。

伸也:あらかじめ脚本があるドラマと違い、事実を取材して、そこから一つの映画としてストーリーを紡ぎ上げるのはすごく難しいんですけど。

沖縄での撮影の際の2人

 

現地の人たちと話をすることで、普段思いつかないようなことが思いつく

-映画を撮っている際の、偶然の出合いから生まれたシーンも多いようですが。

伸也:(2019年に行われた辺野古新基地建設のための埋め立ての賛否を問う)沖縄の県民投票を題材にした「私たちが生まれた島 ~OKINAWA2018~」の撮影をしていた時、カメラは回していなかったんですが、県民投票の原動力となった「『辺野古』県民投票の会」代表の元山仁士郎さんと、映画の中に登場する高校生たちが、一緒にお話する機会をセッティングしたことがありました。こんな風に、ドキュメンタリーを撮ることによって、化学反応が起きて地域の中で何かが起きるということもあります。

拓也:例えば、西和賀町の深沢晟雄資料館だって、(『いのちの作法』の)小池征人監督が提案したんです。「看護宿舎を使って資料館を作ればいいんじゃないか」って、沢内の人たちと飲んでる時に話した事が発端となって実際にできたものです。そういう〝何か〟が起これば、一番の地域おこしになると思います。「いのちの作法」を見て、西和賀町に行ってみようと思った人もいると思うし、製作中の「戦争の足跡を追って―北上・和賀の十五年戦争―」という北上・和賀地域から戦争を見つめた作品を見て、「沖縄や長崎だけじゃなく、北上に行けばこういう学びの場があるのか」って思う人も、いるかもしれない。もしかしたら(映画がきっかけになって)学習旅行や修学旅行が来るかもしれません。

伸也:実際、製作を計画している頃に、「今、こういう映画の構想がある」という話をしたら、「興味があるので行ってみたい」と、わざわざ北上まで来た東京の人たちもいました。(『いのちの作法』の)小池監督から教わったことの一つは、「ドキュメンタリーというのは、事実にただカメラを向けるのではなく、映画を撮るという行為自体が社会を動かしていく要素になり得る」ということでした。

拓也:映画を撮ることが現実に干渉してしまうのならば、それが少しでもいい方向に、少しでもプラスになる方向につながればいいと思っています。

伸也:例えば、今、北上の戦後75年に向けた映画を作っていますが、「自分たちの街にも戦争があった」という記憶を残していく以外に、北上に住む人はもちろん、全国の人に「北上でこんなことがあったのか」と気づいてもらうための作品にしたいと思っています。そうすることで、市外から見学に来る人が増えることにもつながりますし、外からの注目によって、「自分たちのまちにはいいものがある」と市民の認識が改められ、総じて北上が元気になると思うんです。ドキュメンタリーはそういうプラスのものを作れるものだと思います。そういう大事な部分が伝わればいいなと思ってやっています。

 

-最新作「私たちが生まれた島 ~OKINAWA2018~」について聞かせて下さい。

拓也:これも西和賀町で偶然出会った方が、1965年に米軍車両による少女轢殺現場を撮影したことで有名な報道写真家・嬉野京子さんの知り合いだったんです。その嬉野さんを取材する形で(前作の)『OKINAWA1965』を作ったことで、沖縄とのつながりができました。僕たちは、沖縄のゲート前の(機動隊と基地建設に反対する人たちの)激しいもみ合いのシーンは、あまり入れずに、違う視点で撮ろうということを心掛けました。自分たちが作っているのは、沖縄初心者向けだという思いもあるし、どう考えるかは、見た人自身にジャッジしてもらいたいと思っています。そういう作り方をこの作品ではしています。

伸也:沖縄の抱える問題を、日本全体の問題として考えて、議論していこうという動きが、県民投票には込められていました。そもそも沖縄だけに負担が集中していていいのか、日本全体で議論すべきじゃないのか、というのが「辺野古」県民投票の会の人たちの思いです。拓也:次、沖縄を題材に映画を作るなら、沖縄県以外の人たちが、この辺野古の問題や米軍基地の問題にどう向き合うのか、という映画を作るんじゃないかなと思います。

伸也:「私たちが生まれた島」は、4月17日から東京のアップリンク渋谷で劇場公開が決まりました。これに先駆けて、2月8日には盛岡で、2月9日には北上でも上映会が開催されます。岩手の若い人たちと、沖縄の県民投票の仕掛け人である元山さんとの意見交換も企画しています。この映画には、チラシやCG制作など、岩手の人たちもスタッフとしてたくさん関わっているので、ぜひ見て欲しいです。

 

簡単なハードルから超えていく。悩むより、まずはやってみる。

-最後に、何か新しいことに挑戦しようとしている岩手の若者にメッセージをお願いします。

拓也:まずは簡単なハードルから超えていくことを目指してほしいと思います。映画って、人間を知らなきゃいけないんですが、最初に「いのちの作法」を企画した時の僕たちは22歳で、まだ人とどう接したらいいかもよく分からなかったんです。若かった自分たちとっては、すごいプレッシャーでした。その分ハードルもいっぱいあったんですが、その後の作品や活動の全てにつながっていく体験になりました。若い人たちには、現実の人に対する興味を持ってほしいと思います。

伸也:まずはなんでもやってみることです。悩んでいるより、やったほうが早い。僕たちが初めて映画をプロデュースした時も、やると決断してから実際に行動するまでが早かったので、最後までやり遂げられたと思います。その人にとって、本当にやりたいことであれば、応援してくれる人が出てくるはずです。だから、まずはやってみることを大切にして欲しいです。

 

上映会などの詳細はこちら↓↓

私たちが生まれた島(リンク:http://longrun.main.jp/okinawa2018/index.html

ロングラン(リンク:http://longrun.main.jp/

岩手復興ドラマ「冬のホタル」

 

 

 

 

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