2019.3.27(水)

「周りに何もなかったから、思いや興味が濃縮された」高岩遼

    

 

取材対象者:高岩 遼(たかいわ りょう)

対象者プロフィール:
1990年生まれ、岩手県宮古市出身のミュージシャン。ロックンロールバンド「THE THROTTLE(ザ・スロットル)」、東京発のジャズ・ヒップホップグループ「SANABAGUN.(サナバガン)」のフロントマンをつとめている。2018年10月には、初のソロアルバム『10』をリリースした。

 

何か新しいことを始めている人、何かを発信している人。そういった人々の多くは、何かしら自分なりの「哲学」を持っているように思います。「自分が大切にしたい哲学」を考え、見つけることは、新しいことを始めるときの手がかりになるのではないでしょうか。

「いわてつがく」は、そんな思いのもと、岩手県出身のさまざまなクリエイターの「哲学」を紐解いていく連載です。

本州の最東端にある、岩手県宮古市。盛岡から車で約2時間かかるこの町に生まれ育ち、現在東京で活躍されているミュージシャン・高岩遼さんが、第6回目のいわてつがくの取材相手です。大きな体つきに、重厚感のある声──。そんな見た目とは裏腹に、笑顔や物腰は柔らかく、彼の発する言葉からは人間味が溢れていました。

 

大事にしている哲学? 「仲間」っスかね。

 

—— 高岩さんが大事にされている「哲学」について教えてください。

哲学? ……仲間。仲間っスかね。

 

——それは、一緒に活動する仲間のこと?

それはもちろんそうだし、今日この取材で出会ったあなたも、カメラマンさんも。

 

——「仲間」を大事にされるようになったきっかけ等はありますか?

小学校は合気道部、中学校は柔道部、高校はラグビー部に所属していたので、俺はずっと体育会系の縦社会の文化で育ったんですよ。

 

—— 高岩さんが仲間を大事にされていることを象徴するエピソードがあれば教えてください。

なんだろう。すみません、あるんですけど言えない話ばっかりっス(笑)。俺のダチ公に聞いたらわかるんじゃないですかね。

田舎では、文化が「濃縮」される

—— 音楽には小さい頃から触れられていたんですか?

母も親父も音楽が好きで、もともと家に洋楽があふれかえっていました。車に乗ったらQueenやマイケル・ジャクソンが流れていて、音楽に触れ合う機会は幼い頃から多かったですね。俺が小2の頃、両親が離婚して、それまで住んでいた横浜を離れて宮古に戻ったんですよ。盛岡から宮古に帰る長い道のりの途中、母がどっかで借りてきた洋楽のCDを聞いていて。その中にあったスティーヴィー・ワンダーの『涙をとどけて』を聞いた瞬間に、俺、なんだかわかんないけど号泣しちゃったんスよね。ジャズにハマったのは、それから。初めて自分のお金でCDを買ったのはスティーヴィー・ワンダーで、耳が腐るほど聴いて夜な夜な歌ってました。ちょうどその頃、ピアノも習いだしてたんで。

 

——音楽漬けの毎日だったんですね。

そうっスね。宮古って、文化がやっぱり流れてこないんですよ。盛岡までならわかるけど、宮古はさらに何個も山を超えなきゃいけないから。でも、だからこそその文化が自分の中で濃縮されるんですよね。東京だったら「ゲーセン行こう」とか「ボーリング行こう」とかインタレスティングな遊び場がたくさんあると思うけど、俺にはもうスティーヴィー・ワンダーのCDしかなかった。限定されているが故にどんどん意識が集中されて、いい意味でも悪い意味でも理想がどんどん広がるんですよ。現実がわからなくなる。それが、「スーパースターになりたい」っていう今の極端な俺の目標につながってるかもしれないですね。

バンドにラグビーにダンス。ストイックな高校時代

 

—— 中学生や高校生の時も、部活をやりながら音楽はやっていた?

俺の通ってた高校、バンド活動が禁止だったんですよね。ラグビー部に入ってたからなおさら。けど俺はバンドやりたかったんで、合唱部の先生にかけあって、音楽室でバンド練習してましたね。毎日朝7時に登校して音楽室で30分ほどバンド練習をして、それから筋トレしてラグビー部の朝練して授業受けて。そのあとには駅前で、ラジカセで爆音流してダンスを踊っていました。お客さんは、おばあちゃん2人とかだったけど(笑)。

 

—— すごいストイック……! 先生とは仲が悪いとかではなかったんですか?

いや、全然! いるじゃないですか、やんちゃしても何故か先生に絶対怒られないやつ。

 

—— いました、いました。

完全にそれでしたね。「あいつが言うならしょうがない」みたいな。高校ではバンドのライブが禁止されていたから、校長に直談判して学校の図書館でライブやったこともあったっけな。本当に自由にさせてもらってました。

ジャズと自分のアイデンティティを掛け合わせた

—— 上京されたのは18歳の時でしたよね。
そうっスね。高校卒業してからなんで。上京したいと思い始めたのは中1くらいかな。

 

—— 実際に上京されてみてどうでしたか?

自分で望んで来たんですけど、東京はやっぱり環境としてキツいです、どう考えても。特に俺が生きてかなきゃいけない音楽の現場は、ギトギトの、電池の水銀を飲むみたいな体験が往々にしてあるんで。苦しい街っスよね、東京って。

 

—— もう少し詳しく教えてください。

もともと俺は「絶対に有名になる」っていう、岩手で濃縮された思いを詰め込んで上京してきたんですけど、東京のジャズクラブで歌う仕事とかをしていると、やっぱり現実が見える瞬間があるんです。「ジャズを歌ってるだけだと俺はいつまでたっても東京ドームに立てない」って思う瞬間が。
じゃあどうしようかなってなったときに、俺が出した答えは、ジャズと俺のアイデンティティを掛け合わせる、ということでした。俺が今まで宮古の狭い一人部屋で圧縮に圧縮させた、ブラックホールが生まれるその瞬間くらいまで重くなった圧力を、それで培った感覚を、ジャズに合わせてみようと思ったんです。俺がずっと好きだったヒップホップとジャズを組み合わせたのがSANABAGUN.(サナバガン)。ラグビーや柔道などで培った身体能力を生かしてロックをやろうって生まれたのがTHE THROTTLE(ザ・スロットル)。そうして、ジャズボーカルと、サナバガンと、ザスロットル、その3本柱で活動しています。

帰るくらいなら、東京には来ねえ方がいいよ。

 

—— 岩手県出身だからこそ、今の自分につながっているところはありますか?

さっきも言いましたけど、周りに何もなかったことは影響していると思いますね。これが東京とか、周りにいろんなモノがある環境だったら、自分の思いとか興味が分散してしまってたと思いますね。俺の場合は、ですけど。

 

—— 岩手の若者に向けたメッセージをいただけますか?

重大だなあ。なんだろうな……。まず伝えたいのは、俺は、東京に出てきて何かしらで有名になってフォロワーが増えてっていうのがカッコいい生き方とはまったく思ってない、ということ。俺の地元にはいろんな仲間がたくさんいますけど、それぞれの人生の歩み方があって、それはそれで全部かっけぇなって心から思ってます。だからもし田舎で人生を送ることに迷ってる人がいたら、そこは自分の人生に自信を持ってほしいと思いますね。ここまでは、前提として。でも俺は、ミュージシャンやって夢追ってるんで、同じように夢を追ってるやつらに言うならば。どう自分に鞭打って派手にやらかすかっていうのが大事で、もう、それしかねえ世界だから、一発花火をあげたいんなら、すべてを捨てるような勢いで、死ぬ気でやらないと飯食えねえよって言いたいですね。

 

 

編集後記

人間臭さが、とても素敵だなと思った。彼の持つ「強さ」も「弱さ」も自身で発されていた「強がり」も、すべて含めて高岩遼なのだな、と思った。後日誘っていただいたライブを観に行ったのだけれど、そこには多くの人に愛されながらステージで輝いている高岩さんの姿があった。彼の覚悟に、多くの岩手の若い人の心が動かされることを願います。

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