2019.9.30(月)

自分のやるべきことがある。それが一番の幸せ。長田 剛さん

    

 

長田 剛(ながた たけし)

釜石市ラグビーワールドカップ2019推進本部事務局

 

プロフィール:奈良県出身。1983年生まれ。帝京大学を卒業後、関西社会人ラグビーチーム・ワールドファイティングブル(神戸)に所属。2009年に釜石シーウェイブス(SW)RFCに移籍し、選手、コーチを歴任した後、2018年より釜石市の任期付き職員として、ラグビーワールドカップ2019推進本部事務局に勤務している。

 

何か新しいことをはじめている人、何かを発信している人。そういった人の多くは、何かしら自分なりの「哲学」を持っているように思えます。「自分が大切にしたい哲学」を考え、見つけることは、新しいことを始めるときの手がかりになるのではないでしょうか。「いわてつがく」は、そんな思いのもと、さまざまなフィールドで活躍する人たちの「哲学」を紐解いていく連載です。

 

元ラグビー選手で釜石SWでも活躍した長田剛さん。副キャプテンだった2011年に東日本大震災が発生。大けがにより選手を引退した後もコーチとしてチームを支え、2018年の退団後も釜石市に残り、現在は釜石市ラグビーワールドカップ(W杯)2019推進本部事務局で、広報担当として日々奔走しています。

 

まちの人との距離が近い釜石。今では離れられない場所に。

-はじめに、奈良県出身の長田さんが釜石市に住むようになった経緯を教えて下さい。

2009年から釜石SWの選手として釜石へ来ました。前に所属していた神戸のチームから移籍先を探していた時、最初に声を掛けてもらったのが釜石でした。一番必要とされているところに行くことで、自分の価値が出てくると思ったので、二つ返事で釜石に来ました。その後2009~2012年度は選手として、2013~2017年度はコーチとして釜石SWに所属しました。

 

-実際に住んでみて釜石はどんなところですか?

釜石に来てから11年になりますが、今ではすっかり離れられない場所になっています。僕が生きていく中で、食べものがおいしくて、自然があって、仲間・家族がいる、この3つがあれば十分なんですが、それが全部叶うのが釜石です。地元の奈良もいいけど、奈良には海がないし、海のうまいもんがないんです。だから、釜石はいいですね。以前住んでいた神戸にも海があったんですが、サーフィンができないんです。僕はサーフィンが趣味なので、休日には、釜石の波板海岸や洋野町の方にも行きます。波もいいし、綺麗だし、人も少ないし最高です。もう離れられないですね。

 

-震災も経験されましたが、釜石に住み続けるという気持ちは変わらなかったのでしょうか。

僕は住んでるというよりも、住まわせてもらっているという感覚の方が近いです。というのは、釜石にはずっと自分がやるべきことがあるので、それが一番幸せですね。最初に来たとき、すごくまちの人と選手の距離感が近いと思ったんです。どこへ行っても「頑張れよ」とか「酒飲むか」と話しかけてもらえて。練習が終わったら、家族のようにいろんなものを差し入れてくれて。それが僕にはすごく居心地が良かったんです。だから、応援してくれる人のために頑張ろうと思いました。これはもう、まちのために戦わなあかんと。そして、震災があって、ボランティアするってなった時も、誰に言われたわけでもなく「自衛隊がボランティアやっているらしいから、明日から行こうや」となりました。今できることはラグビーじゃなくボランティアだと。ボランティアが続いたある日、「もうボランティアはいいから、ラグビーでまちを元気にしてよ」って言われたんです。それを聞いて、僕たちがいるホンマの意味を、改めて実感させられたんです。僕たちはラグビーをしに来ている、まちのためにラグビーをしに来ているんだと、再認識させられました。それからもう1つ、釜石にはラグビーの力がある、ラグビーで復興するんやと、チームみんなが同じ方向を向けました。

 

「もうちょっと人の役に立ってから帰ってこい」。背中を押した父の言葉

-チーム退団後、釜石市の任期付き職員になったのはどのような思いからですか?

一度は実家のある奈良県に帰ろうかとも考えました。父が飲食店を経営しているので、父の仕事をやろうかとも考えて電話しました。そしたら「もうちょっと人の役に立ってから帰ってこい」と言われたんです。この言葉で「あ、もうちょっと釜石にいてもいいんだ」と思えました。自分でも実際は「釜石に残りたい」という気持ちがあったので、背中を押してもらいました。

 

-現在の仕事の内容を教えて下さい。

2018年の5月から、釜石市のW杯推進本部事務局で広報、企画担当をしています。具体的には、いろいろなイベントに出向いてW杯の釜石開催をPRしたり、釜石鵜住居復興スタジアムを視察に訪れる個人や企業、学校、自治体関係者をアテンドする仕事をしています。ほぼ毎日いろんな人が来ますが、個人から安倍晋三首相まで本当に幅広いです。海外のお客さんもたくさん来ます。

開放感あふれる釜石鵜住居復興スタジアム。W杯ではフィジー対ウルグアイ戦、ナミビア対カナダ戦の2試合を開催。

 

-W杯が終わった後、ラグビーやスタジアムといった資源を、どのようにまちの振興に生かしていけるでしょうか。

スタジアムがいかに愛され続けるか、ということが大事だと思います。もちろん、柱となる競技があって、興行収入がなければいけないという点では、ラグビーという〝顔〟はあるべきです。ただ、ラグビーだけでは、来る人も限定的です。例えば盛岡に住んでいる人が「釜石のスタジアムでしょ」って言うのではなく、「岩手のスタジアムだ」って言うぐらいの距離感であって欲しい。僕個人の考えですが、音楽や芸術のイベントに使ってもらったり、この芝生にみんなで寝転がって、星空を見たり。そんなこともやりたいなと思っています。ここで見る星空はめちゃくちゃきれいなんですよ。

 

-7月に行われた国際大会パシフィック・ネーションズカップ(PNC)、日本対フィジー戦も盛り上がりましたね。

本当に、とても素晴らしい日でした。日本代表の選手に、試合後,ロッカールームの壁にサインを書いてくれるようお願いしたんですが、みんな快く書いてくれました。これをレガシーとして、W杯後もスタジアムツアーなどで一般の人にも見てもらえるようにしたいと思っています。後から聞いた話ですが、試合前日のミーティングで、主将のリーチ・マイケル選手が、選手みんなの前に、今までに試合した世界中のスタジアムの写真を貼って、どこで試合がしたいか聞いたそうです。そしたら、みんなが釜石鵜住居復興スタジアムと答えたそうです。そういう話を聞くと、ここは特別な場所で、代表選手もそう感じてくれて、あんなにいい試合をしてくれて、ここにサインが残っているというのは1つのストーリーになっていると思います。リーチ選手は、サインに「ありがとう」と書きました。そういう話をしながら、スタジアムに来た人たちがサインの前で写真を撮って「行ってきたんだ」って話をしてもらえるようになればと思います。

日本代表選手のサインが書かれた釜石鵜住居復興スタジアム内ロッカールームの壁

 

お客さんにとっても、選手にとっても特別な時間に

-いよいよW杯も本番ですが、釜石での2試合、どんな大会にしたいですか?

釜石での試合の見どころはどこか、よく聞かれるんですが、要はここで何があって、なぜ、ここで大会が開かれているかっていうことを、一人一人が知って試合を見れば、絶対に特別な時間になるはずなんです。そのことは、選手ももちろん知っているはずです。なぜ自分たちがこの場所に立てているかということに、つながっているはずです。そうすれば、一つ一つのプレーも違ってくるはずだし、お客さんにとっても特別な日になると思います。僕自身もワクワクしています。何が起きるんだろうという感じです。ただ、実際は試合を見てる時間が無いくらいに、忙しいとは思うんですが(笑)

 

-釜石市に、これからどういうまちになっていってほしいですか?

釜石は「鉄と魚とラグビーのまち」と言われていますが、本当の意味でラグビーのまちになっていってほしい。世界中の人、日本中の人、誰が見てもラグビーのまちと言われるぐらいに、ラグビーで盛り上がっているまちになれば、すてきだなと思います。このままでは、「ラグビーのまちだった」になってしまう。これを機に、あのまちはラグビーがあるから大丈夫だと言われるようになったらいいなと思います。

 

できない理由ばかり考えて、やらないのはかっこ悪い

-最後に、新しいことに挑戦しようとしている岩手の若者にメッセージをお願いします。

僕はすごく自分にストイックな方ですが、みんな、これをやりたいという目標を持っているはずです。でも、できない理由ばかり考えてやらない。例えば、1%でも2%でもできる理由があって、本当にそれがやりたいと思うことだったら、できない理由ばかり考えてやらないより、やることを選択した方がいいと僕は思うんです。できない理由ではなく、できる理由を考えようと。諦めることが大事な時もあるけど、できないことばかり考えてやらないのは、かっこ悪いし後悔すると思うから。それに、頑張ってたらきっと誰かが見ている。頑張っている人にしか、共感してくれる人は現れないと思います。

シープラザ釜石2階の釜石市ラグビーワールドカップ2019推進本部事務局

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