2021.7.8(木)

逆境を乗り越えるためには、アクションを起こさないと何も始まらない。中野 美知子さん

    

 

ライター T.Saito

何か新しいことをはじめている人、何かを発信している人。そういった人の多くは、何かしら自分なりの「哲学」を持っているように思えます。「自分が大切にしたい哲学」を考え、見つけることは新しいことを始めるときの手がかりになるのではないでしょうか。「いわてつがく」は、そんな思いのもと、さまざまなフィールドで活躍する人たちの「哲学」を紐解いていく連載です。

中野 美知子(なかの みちこ)

有限会社 アライブ 代表取締役

事業内容 不動産仲介業

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プロフィール:岩手県盛岡市出身。2001年有限会社アライブ設立。創業時より全員女性スタッフというコンセプトを持ち、女性目線でお客様に寄り添う不動産屋として経営。20代の頃盛岡青年会議所での自身の成長を糧にし、30代になって本業の傍ら空き店舗を活用したまちづくり事業を経験。現在は本業の不動産仲介業を行いつつ、地元盛岡の発展のため人材育成に力を入れています。

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ー当時、21歳で会社を立ち上げたきっかけは?

私は、高校を卒業してからやりたいことがなくて、友人たちとイベントを企画・運営しながら、父の不動産屋を手伝っていました。しかし、そんなある日、父が会社の事業で失敗し、私も保証人になっていたため莫大な借金を抱えることになりました。成人になってこれからという時でした。借金を返すための方法として、3つ選択肢がありました。1つは新しい会社に形を変えて継続する。2つ目は東京に出稼ぎに行く。3つ目は自己破産でした。私の中では、仲間や友達がいる盛岡が好きで、ここを離れて一人で頑張ることは厳しいと感じていたので、思い切って盛岡で起業しようと思いました。

21歳でお金も無く、不動産売買の大きな仕事ができるわけではないので、何から始めても良いかわかりませんでした。そんな時、不動産の賃貸であれば、友達にアパートなどを紹介できると思い始めました。しかし、自社では物件を持っていませんので、他の不動産屋にお客さんを案内するなどして、本当に自分ができる小さいところから仕事を始めました。

起業と聞くとかっこいいとか凄いと思うかもしれませんが、私の場合は、翌日の水道代を払うのが厳しいほど貧乏で、兄弟や頼れる親戚もいない状態で始めた起業でした。

ーどのように会社を作って行かれたのですか?

最初は、人脈が欲しいと思い青年会議所に入りました。そこには、会社経営をされ組織を作ってきた大人たちがたくさんいて、20代の私にとっては教えてもらうことが楽しかったです。そして、大人たちに混じり会社の組織を作っていくこと、自分も仕事をしながら勉強していくことを両立しなければ経営者にはなれないと学びました。いわゆる人付き合いと本業のバランスが大事です。

当時の会社は、現在の場所の3階であまり目立たなかったのですが、一つ一つチャレンジすることを意識しました。例えば、当時の携帯はガラケーでしたが、不動産のポータルサイトに盛岡でいち早く物件情報を掲載したり、東京で行われている不動産フェアに行ってまだ岩手にはなかった賃貸保証のシステムをいち早く取り入れるなどしました。このようなチャレンジに繋がったきっかけは、同世代の友人との会話から今東京で話題になっている情報をいち早くキャッチしていたからだと思います。何事も行動しないと始まらないとこの時思いました。

ー過去を振り返り苦労したことは何ですか?

当時の私は、お金は欲しいし借金も返さないといけない、でも仕事はお金が欲しいを全面に出すと成果に繋がらないことにとても悩みました。人のためになりたいけど、お金は欲しいという無限ループにはまってしまいました。そんな時、青年会議所の先輩経営者の方に「お金を稼ぐことは納税することで、社会に貢献することでもある」と教わり自分が進むべき道がわかりました。

やはり自分が目指すのは、人の役に立ってお金を稼いで、そのお金で社会に貢献することが大事だと確信しました。武士は食わねど高楊枝ではないですが、お金がないというのは表に出さずに、目の前のことをただ一生懸命やることで自分を信じようと心に決めました。

インタビュー時、スタッフの話を伺う中野さん

ー新たにまちづくり事業を経験して学んだ事を教えてください。

当時、20代の頃のご縁で新たにまちづくりに携わる事業をやっていこうと思った時、盛岡に空き店舗が多く自分の街の未来を憂いていました。昔は洋服のセレクトショップなどお店も沢山ありましたが、時代の変化で建物の1階がどんどん空いていきました。どうやって空き店舗を活用すれば改善できるか考え、東京の神田で家守をやっていた人のやり方を知り、空き店舗の活用を行う「morioka3rings(もりおかスリーリングス)」の活動を始めました。

最初、まちづくりは場所が空いたら人を入れていくことを考えていましたが、その場所に人が集まることや、人が運営することで街がつくれることを知り、一番は人を育てていく事が大事だと思いました。人を育てることに関しては、自分は青年会議所で様々学んできたので、次は自分が若手を育てる側になりたいと思いました。その頃、東京一極集中が問題になっていたので、東京に出ないと強くなれないというイメージがありましたが、岩手で同じような経験や環境ができれば、成長のために県外に出ていく必要がなくなると思います。このような経験から、人の力を引き出しながら、自分も引き出されるような相互関係を持つ、人材育成に力を入れて経営していきたいと思いました。

仕事をする上で大切にしていることは?

大切にしていることは2つあります。1つ目は、私の仕事は住む・暮らすということへのお客さんのお悩み相談だと思います。そして、そのお悩みを解決する手段が不動産で、その方の生活に最適な場所を探すことが役割です。我々の会社に不動産の相談で来ていただいたというのは一つの縁だと思いますので、お客さんの悩みに100%答えたいと思っています。

2つ目は、一緒に成長できる最高のメンバーを大切にしています。ゼロから立ち上げてお客さんのおかげでここまで積み重なってきたので、自分たちもそれに合わせて少し背伸びしながら仕事をしていかないと会社も大きくなりません。会社とともに自分たちも成長していくことも必要です。

ー中野さんが岩手にこだわる理由は何ですか?

Iターンとか岩手を知らない人には、岩手に興味を持ってもらえるようPRすることが大事だと思います。しかし、今は交通が便利になったので、好きな場所へいつでも行けます。私にとっては、たった一つの故郷である岩手で親孝行をしながら、自分の人生を豊かにする要素が岩手にあると思っています。まだ岩手に来たことがない人はぜひ岩手に来て欲しいです。

被災地域の若者へ夢を持つことの大切さを伝えた活動。この本には、若者の憧れの職業の方からの夢についてのメッセージが書かれています。

最後に、何か新しいことへ挑戦しようとしている岩手の若者へメッセージをお願いします。

何か新たに挑戦するときには覚悟を決めてからスタートした方がよいです。今回ダメだったらと後の事を考えず、これをやると決めたら最後まで信念をもってやり切ることが大事です。きっと応援してくれる人が出てくるので思い切ってやった方がよいです。私は、「全てのひとが生き生きと暮らせる社会」をVisionにしています。自分が挑戦することは全てそのVisionに向かっていると思いいつも行動しています。不動産屋は、私にとっての基礎基盤ですが、他の事業でもゴールがぶれなければ問題ないと思っています。

アライブ社外観の様子。

 

有限会社 アライブ

〒020-0871 岩手県盛岡市中ノ橋通1丁目5-33

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