2021.1.26(火)

岩手からオリンピックの舞台へ、最高難易度の技術が詰まった 水沢ダウン    及川主計さん

    

ライター T.Saito

何か新しいことをはじめている人、何かを発信している人。そういった人の多くは、何かしら自分なりの「哲学」を持っているように思えます。「自分が大切にしたい哲学」を考え、見つけることは新しいことを始めるときの手がかりになるのではないでしょうか。「いわてつがく」は、そんな思いのもと、さまざまなフィールドで活躍する人たちの「哲学」を紐解いていく連載です。

及川 主計 (おいかわ かずさ)

デサントアパレル株式会社 水沢工場 製品開発課/リーダー

事業内容 アパレル業/縫製加工業

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プロフィール:北上市出身。文化服装学院卒業後、Uターンで地元へ戻り、アパレル販売の経験を経て、2009年デサントアパレル水沢工場へ入社。現在、製品開発課でパターンを担当。ソチオリンピックの日本選手団ウェア開発に携わるなど、水沢ダウンを始め多くの製品を手掛けている。

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ーモノづくりを始めた経緯とは?

私は幼い頃から、自分で作ることが好きで、ガンダムを作ったり、子供用雑誌の付録を作ったり、スケボーを作ったりしていました。自分で作れるものは作るという基本をこの頃に身につけたと思います。高校はモノづくりが好きで地元の工業高校へ進学したのですが、将来は自分で洋服を作りたいと思い、専門学校は東京の文化服装学院に進学しました。服飾を学べる環境としては日本で1番の学校で、3年間パターンを勉強しました。文化祭では、学んだことを発表する場としてファッションショーを行い、私はランウェイの舞台では音響を担当しました。テーマのイメージに合った曲を探し、曲が見つからない場合は自分でフリー素材を使って音楽を制作していました。当時を振り返ると、まずは自分で作るという環境に身を委ねてきたことで、今の自分が形成されたと思います。

ー上京しパタンナーになろうと思ったきっかけとは?

中学の時に、裏原ブランドが全盛期で、私もファッションに興味を持ちました。高校では部活はしていませんでしたが、焼き肉屋とコンビニでアルバイトをして、お金を貯めて服を買っていました。その時、親交があった1学年上の先輩が東京のバンタンデザイン研究所へ体験入学に行った話を聞いて、私にとってはその話が非常に身近に感じました。岩手から上京するというハードルがある反面、岩手を面白くするためには、一度岩手を出て東京で服飾を学ぶ必要があると考えるようになりました。

私は、デザイナーに憧れていたのですが、早い段階で絵が上手くないことに気づいたので、パタンナーという服を設計する職業を目指しました。高校3 年生の時に、文化服装学院に体験入学に行き、簡単なTシャツと短パンを作りました。それまでは、服を作り上げる概念がなかったのですが、実際に体験してパタンナーの仕事の楽しさを知りました。しかし、当時、ミシンを持っていませんでしたので、放課後に家庭科教室のミシンを使わせてもらいながら、洋服づくりに没頭していました。そして、高校最後の年はファッション甲子園に出展しました。服飾の道を選ぶ決意をするのは早かったと思いますが、自分のやりたい職業に就くことができて良かったです。

学生の頃、目指していたパタンナーになり、仕事をしている様子。

ーなぜ岩手・水沢から冬季オリンピックに使用されるようなウェアが作られたのでしょうか?

2010年に開催されたバンクーバー冬季オリンピックの日本代表選手団の公式ウェアをデサントで手掛けることになっていたのですが、『デサント』ブランドのデザイナーが選手に最高のウェアを着て欲しい、と思ったのが始まりです。寒いうえに雨や雪の多いバンクーバーの地で保温性に優れ、かつ水に弱いというダウンの弱点を克服できるようなウェアを作れないか、というアイディアが生まれました。水沢工場は、雪山で使用するスキーウェアなどを主に手掛けていたため、ダウンジャケットや防水性の高いウェアを作る機械設備と高い技術力を持っていたので、この画期的なダウンジャケットを作る企画を二人三脚で進めることになりました。こうして開発されたのが、バンクーバーオリンピックに採用されたウェアです。これが後の水沢ダウンとなりました。

私は、バンクーバーの後のソチ冬季オリンピックで日本選手団が着用するウェアの開発に携わり、開催期間中は、ウェアの補修やサイズ調整などに対応できるように現地へ派遣されました。私たちが作ったウェアを全世界の方に見ていただけることがどれだけ凄いことなのか、ソチの舞台で感じました。

水沢工場で生産された最高難易度の技術力が詰まった水沢ダウン。

ー及川さんが思う、水沢ダウンの魅力とは?

従来のダウンジャケットは、ダウンが下に偏らず、均等に配置できるように縫い目でダウンの部屋を作っています。しかし、縫い目があるためそこから雨や雪の水分がしみ込みやすく、暖かい空気も針穴から逃げてしまいます。私たちはこのダウンジャケットの弱点を解消するため、まず、縫うのではなく圧着していること、どうしても縫製が必要な個所にはシームシーリングテープ加工を施すことで浸水防止をしています。さらに、ポケット部分などのファスナーには止水ファスナーを使い、生地にも撥水加工を行っています。このように、最高難易度の技術力を集め、水に強く、羽毛抜けも少ない、そして暖かく軽い、という機能を追求したダウンジャケットが水沢ダウンです。

私の友人が水沢ダウンを百貨店に買いに行った際、試着した瞬間に買うと決めたそうです。着るという感覚ではなく、「まとう」という感覚だと話していました。さらに、最近では、ファッションに敏感な方が、普段使いでも、山に行くようなプロ仕様のハードタイプを好む傾向があります。世界の舞台で採用された機能が、体感できるのも水沢ダウンの一つの魅力だと思います。

生地、ファスナー、縫製部分に至るまで機能を追求している。水沢ダウンジャケット”ストーム”。

ー知られざるパタンナーの仕事とは?

デザイナーの平面のイメージをパーツごとに型紙を作り、立体的に組み立て服を仕上げるのが仕事です。さらに、生産ラインで無理がなく洋服を作れるように設計しています。しかし、デザイナーの意図を理解し、時には難しい課題でもパタンナーが形にしないといけないのですが、自分の頭の中で形になっていることを共有しなければなりません。そのイメージが言葉だけでは、伝わらないことがあるので、図にして説明しています。デザイナーが想像していない、細かい内側の設計に、自由なアイディアが表現できたとき、パタンナーの存在価値を感じます。

細かいパーツの設計をしているパタンナーの仕事の様子。 

ーデサント水沢工場の強みは何でしょうか?

この水沢工場という立地と他の縫製工場にはない設備があることです。通常の縫製工場であれば、ミシン、アイロンという標準的な設備で縫製しています。しかし、デサント水沢工場では、レーザーカット機やシームシーリング設備、自動裁断機などもあります。縫製のみならず、色々な角度から物事が考えられるので、アイディアの可能性が広がります。さらに、我々は自社工場で一貫生産して作れる強みがあります。その他にも、パタンナー専属の縫製職人が隣にいることでコミュニケーションを取ることができ、別棟には生産ラインがあり、自分が作ったパターンの製造工程を確認することができます。パターンを作って終わりではなく、製品として仕上げるまでがパタンナーの仕事だと思いますので、パターンメイクから仕上げまでを把握できる環境にあるのが良い点だと思います。

デサント水沢工場内にて、職人の技術を活かしながらウェアを作っている様子。

ーこれから新しいことに挑戦する若者へ

いわての若者、全国の若者にメッセージを!

私は、学生時代に岩手を盛り上げたいと思って生まれ育った岩手を出ました。現在は、以前と比べて情報が非常に集まりやすく、どこに行くにしても行き来しやすいと思います。これまでの経験から私が伝えたいことは、一回は世界に目を向けた方が良いということです。行って自分で体験することによって分かることがあります。世界は意外と広いと思うのか、狭いと思うのかその人次第だと思います。

インタビュー時、大好きなファッションについて話されている及川さん。

 

デサントアパレル株式会社 水沢工場

住所:〒023-0402 岩手県奥州市胆沢小山字北蛸ノ手10

水沢ダウン 紹介ページ

株式会社デサント

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