いわてつがくとは…
何か新しいことをはじめている人、何かを発信している人。そういった人の多くは、何かしら自分なりの「哲学」を持っているように思えます。「自分が大切にしたい哲学」を考え、見つけることは新しいことを始めるときの手がかりになるのではないでしょうか。「いわてつがく」は、そんな思いのもと、さまざまなフィールドで活躍する人たちの「哲学」を紐解いていく連載です。
鹿村 祥平 Shohei Shikamura
花巻フットボールクラブ 監督
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プロフィール:
1991年花巻市生まれ。幼少期からサッカー競技に取組み、仙台大学卒業後は青森県弘前市のサッカークラブチーム「ブランデュー弘前」の選手として5年間プレー。岩手県へUターン後は「FCガンジュ岩手」、「盛岡ゼブラ」のクラブチームでのプレーを経て、現在は「花巻フットボールクラブ」の選手兼監督としてクラブチームの運営に携わる。
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※インタビュー内容および所属は、取材当時のものとなります。
ープロフィールを教えてください。
出身は花巻市でして、花巻東高校に進学、大学は仙台大学に進学しました。その後、青森県弘前市の「ブランデュー弘前」というクラブチームで選手として5年間プレーしました。契約更新のタイミングで弘前を離れ、その後は「FCガンジュ」「盛岡ゼブラ」といった盛岡市のクラブチームでプレーをして、2023年から「花巻フットボールクラブ」で選手兼監督として関わっています。
サッカーリーグというのは三角形ピラミッド型になっていて、日本だと1番上にJ1でそのあとにJ2,J3があって更にその下にJFLという枠があり、さらにその下に社会人リーグがあります。社会人リーグも全国各地にそれぞれリーグがあって、東北社会人リーグ1部というJFLの下にある社会人リーグ1部でプレーをしていました。多くの方が思い浮かべるテレビで観るようなプロ選手ではありませんが、ブランデュー弘前に在籍していた頃は、仕事をしながらお給料とは別で一応サッカーでもお金をいただいていた「セミプロ」のような形でプレーをしていました。
現在、所属している「花巻フットボールクラブ」は東北社会人リーグの下にある、岩手県リーグの2部にいるチームで、みんなそれぞれ働きながらプレーしています。私自身もラグノオという菓子製造を行っている会社の営業として働きながら、休みの合間を縫ってプレーしています。
ーサッカーとの出会いは?
サッカーを始めたのは小学校4年生で、本当のことを言うと当時はバスケットボールの方が好きだったのですが、自分が入学する中学校に男子バスケットボール部がなくて(笑)
周りの友達や家族に進められてこともあり、サッカーを始めたのがきっかけです。小学校6年生の時に初めて花巻市の選抜チームに選ばたり、中学2年生の時にも岩手県選抜に選ばれたりして、サッカーがだんだん楽しくなってきました。
花巻東高校進学後に国体選抜に選ばれたのですが、それがきっかけでサッカーに対する考え方や練習に取り組む姿勢が変わりました。高校の時はチーム内でもサッカーに対する意識や熱量に差もあり、高校までの結果に納得がいかなくて、仙台大学に進学しました。
仙台大学は当時、サッカー部だけで200人くらい部員がいて、A・B・Cチームと同じ大学の中でもチームが複数ありました。私もAチームに選ばれることはあったのですが、なかなか試合での出場には絡めず。ただ、Bチームが出場するような全国大会があって、その全国大会で準優勝は達成しました。
全国大会を目指す時は同じチーム内のメンバーで揉めることもあったのですが、それはそれぞれが結果を出したい、優勝したいという想いから衝突してしまう。私も人生で初めてサッカーで揉めたのですが、仲が悪くなるというより、より一層仲が深まるような感覚でした。
高校までは一緒に頑張っていたけど勝てないという意識がどこかにあって、負けてしまっても悔しいというより、当然の結果だろうと淡々としていた自分がいました。それが大学に入って、サッカーでここまで熱くなれるんだということを学びました。
ー大学卒業後、どんな選手生活を送ってきたのですか?
大学4年生の時、色々なサッカーチームの練習に参加させてもらっていました。それが一つの就職活動のような感じではあったのですが、結果としては練習に参加させてもらっていたチームからは声をかけてもらえなかったです。
その一方、大学の先輩がブランデュー弘前に所属していた関係もあって、ブランデュー弘前の練習に参加させてもらい、監督にも気にかけてもらえました。最初は住まいも変わるし、環境的に不安はあったのですが、地域のスポンサー、サポーターがすごく応援してくれるチームで、熱心に声をかけてくれたこともあり、新卒でブランデュー弘前に入りました。
サッカーをしに入社した自分を会社の皆さんは暖かく迎えてくれましたし、日曜日も各々の休みの時間を削ってでも応援に来てくれて、サッカー以外のところで学ぶことがすごく多かったです。また、弘前市はねぷた祭りが有名なのですが、ねぷたの団体の皆さんが試合の応援に来ていたり、チームのマスコットキャラクターのねぷたを作ってくれたり。
そういうのを見て、選手自らが地域のために動く必要があるのではないかと思って、当時の理事長に直談判しに行き、「選手会」というものを作らせてもらいました。選手会では、月1回自分たちのホームスタジオから弘前駅までの道のりのごみ拾いや。応援してくれる企業の草刈りのお手伝い、ねぷたまつりの山車を一緒に引いたりしました。
ーとても地域密着型のチームですね。
まさしく当時、「地域密着」というのを凄く考えました。謳っているだけなら誰でもできるじゃないですか。でも、行動するのが大事だと思って、選手が出来る地域密着を考えた時に、自分達のレベルで出来るのは、まず街をきれいにするごみ拾いからスタートしたり、後は簡単にできる草刈りだったりでした。
自分たちができることは本当に簡単なお手伝いですけど、地域の皆さんも土日削って応援しに来てくれるので、地域の草刈りをお手伝いすることで地域の皆さんのお休みが1日でも増えるのであればいくらでもやりました。
もちろん中には「何で選手がここまでしないといけないのか」と納得しなかった選手もいましたが、街に向かって何かやりたいと発信していけば応援してくれる方が増えて、「地域密着」を通じてどんどん選手が行動を起こしていきましたね。
ープレイヤーとしては?
選手としては、ブランデュー弘前には5年間在籍していて、基本的にはずっと試合に絡ませていただいていました。ブランデュー弘前を退団する時には、岩手からは「FCガンジュ岩手」でプレーしないかと誘われ、仙台にいる昔からお世話になっていた方からもお仕事のお誘いがありました。
最初は岩手と仙台でどちらに行くか悩んだのですが、指導者ではなく、もう少し選手として頑張ってみようと思って、FCガンジュ岩手に入団しました。FCガンジュ岩手では3年プレーして、現役引退を発表しました。
ー現在所属する花巻フットボールクラブに入った経緯は?
2022年5月に花巻青年会議所(以下、花巻JC)に入会したのですが、入会した目的が花巻市にもブランデュー弘前みたいなチームを作りたいと思ったからです。
花巻市に自分でサッカーチームをまず作ろうと思っていた矢先、花巻JCのイベントに参加しました。当時の花巻JCの方が花巻フットボールクラブに所属されていて、チームを手直ししてほしいというお話をいただいたことがきっかけで、現在選手兼監督として関わることになりました。
ーチームの運営側に回ってから難しさややりがいはありますか?
今はやりがいしかないですね。
何もないチームなのでやりがいしかないかなと思っていますけど、選手はみんな家庭と仕事があるので難しさも感じます。全員がプロを目指しているとか、自分と同じようなビジョンを持ってくれてればもっと話は違いますが、自分だけがそれを謳いだすと押しつけになってしまいます。
今は試合の一週間か2週間前くらいに「是非お願いします」、「ちょっと人足りないから来てくれませんか」と、皆にお願いして来てもらっています。一歩ずつ、いや半歩ずつくらいのペースですけど、ちょっとずつやっていくしかないかなと思っています。でも、楽しいです。
ーサッカーと自分のキャリをどう結び付けていますか?
高校の時から将来、プロサッカー選手を目指していましたが、大学4年生くらいの時には、なんとなくプロとしてやっていくのは薄々厳しいだろうと気づき始めました。それでもやっぱりサッカーに対してあきらめがつかないし、「俺はまだできる気がする」という希望みたいなのがあって、自分の中ではだんだんレベルを落としてやってきていますけど、それでも各カテゴリー、チームで出会う人脈というのはずっと残っているので、そういうのはキャリアに活きてくると思っています。
大学の先輩にはプロになった選手もいるのですが、その選手に共通して言えるのがやっぱり努力ですかね。練習量がまず自分たちと桁違いでした。その人達は規定練習が終わった後も、自分に足りない部分や筋力トレーニングをしていましたし、技術面だけでみたら大差がなくてもプロになれる/なれない人の違いは、そういう小さな努力なんだと思います。
仕事しながらスポーツをしている人達に関して自分が言えることは、自分がやりたいスポーツがある中で、仕事をなあなあにしてはいけないこと。現役時代にも日曜日が試合で、月曜日の仕事を休んだり、ある程度言われたことだけこなせばOKという人がいましたけど、
私はそういうのは絶対成功しないと思っています。どちらかがなあなあになってしまったら、結局全部が中途半端になってしまう。仕事ももちろん全力でやって、それが終わってスポーツも全力で取り組むというのが大事ですし、そうすると休みの日に知り合いが応援に来てくるなど、巡り巡っていい方向に進んでいくと信じています。
ー花巻フットボールクラブとしての今後の夢はありますか?
グルージャ盛岡のようなチームを花巻にも作りたいです。岩手で新幹線も空港も交通の便が整っているのは花巻ぐらいだと思っていて、そういった便も良くてこれだけ土地も余っていて、スタジアムは行政の絡みとかどうかわからないですけど、作ろうと思えば花巻に作れると思うんですよね。
そうすれば子供達も花巻に憧れるし、花巻に戻ってくる人も多くなると思っています。全国のサッカーチームが試合をしに来て、応援サポーターが花巻でお金を使ってくれれば花巻の企業も活気づきますし、それを花巻で実現させたいというのが、自分の夢ですね。
ー最後に、同じ志を持つ若者に向けてメッセージをお願いします。
最近、小・中学校に指導しに行くとき、子どもに対して色々口出ししてしまう親をみかけますが、若者の皆さんにはやりたい事どんどんやってほしいし、そこに対して突き詰めてほしいです。今の日本は何か失敗しても何とでもなると思うので、失敗を恐れずチャレンジしてほしいと思います。