2015.3.30(月)

タイトル「いわてびと」

〜 特集記事第2回 岡本翔馬さん 〜

    

「いわてびと」めっけ!のコーナーでは、いわてで活躍するいわての若者や団体を紹介していきます!
「めっけ!」は、岩手県など東北地方の方言で「見つけた!」「発見!」という意味です。

第2回は、2011年の東日本大震災をきっかけにいわてにUターンし、
「災害の伝承と減災意識の喚起」、「新しい地方都市へのまちづくり」、「若年層の社会参加」をテーマに、
各方面で活躍する岡本翔馬さんをめっけ!

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◎岡本翔馬(おかもと しょうま)
1983年生まれ、陸前高田市出身。大学進学のため宮城県仙台市へ移り、卒業後に上京。
2011年、東京都千代田区の勤務先にて東日本大震災を経験。震災直後の3月13日から陸前高田市に入り、
避難所の運営支援、炊き出し、物資の調達や運搬など、あらゆる緊急支援を実施。
同年5月末に東京の勤務先を退職し帰郷。6月に同級生と復興支援団体を立ち上げる。
現在は、認定NPO法人 桜ライン311代表理事のほか、陸前高田市まちづくりプラットフォーム委員長、NPO法人wiz 副代表理事、岩手県社会貢献活動支援審議会委員、岩手県における復興祈念公園基本計画検討調査有識者委員会協働WG 委員など、多岐方面で活躍中。

特集【第2回】 故郷のために奔走!岡本翔馬さん
1.岡本翔馬さんって?

陸前高田市に高校卒業までいて、そこから仙台に大学進学をしました。大学時代は、アルバイトに打ち込んだり、趣味のバイクで四国まで旅をしたり…、自由気ままに生活をしていました。大学卒業後は、デザイン関係の仕事がしたくて東京に出ました。

僕はもともとデザインというものに興味があったんですけど、でも陸前高田にいると、デザインで食べていくってイメージがなかなか持てないんですよ。

例えばの話ですけど、陸前高田にインテリアショップがあるかといったら無いわけで。ちっちゃい雑貨屋さんが何件かあったくらいかな、その当時。でも仙台に出てみると、インテリアショップは何店舗もある。ちょっと調べてみると、東京にはもっとたくさんのインテリアショップがあって、何かをデザインすることで生計を立てている会社がたくさんあるっていうことを知って。

「おお、こんな世界もあるんだ!」って、目が見開かれちゃった感じ。
広い世界があるっていうことを知ったほうが、絶対に良いです。田舎にいると気づかないことのほうが多すぎるので、そこでその人の可能性が小さくなってしまうのがすごく勿体ないな、と。

仙台や東京に出て、いわて(陸前高田)の見え方って変わりましたか?それとも、あまり変わらなかった?

そういう意味ではやっぱり大きく変わりますよね。僕は基本的に、若い子は一回違うところに出たほうが良いと思っているんですけど、その感覚を持ったのが大学進学のときで。
この街が良いところだとか、悪いところだとかそういうことじゃなくて、純粋にこの街がどういう場所なのかを認識するために、違う場所で生活するっていうことがすごく重要なんですよね。
やっぱり、比較対象がないまま何となく比較したつもりになっていてもどうしようもないので…。

さきほど仰っていた、若い子はいったん外に出たほうが良いっていうのは、岡本さんご自身の経験からなんですね。

 

2.岡本翔馬さんのアクションforいわて

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東京で会社勤めをされているときに東日本大震災が発災して、救援活動をきっかけに陸前高田にUターンしたんですよね。

はい、震災のその日も、もちろん出勤していて。で、午後に地震があった。東京で、震度5強くらいかな。
実際、陸前高田の情報は欲しいけど、インターネットを検索しても出てこない。で、悩んだ結果、結論として、(陸前高田に)帰りたいなと。
それで現地で、家族の安否確認であったりだとかをして、そこから避難所の運営をやるようになって。

避難所では外からの支援がたくさん入ってくる中で、やっぱり摩擦がおきるわけですよ。外の人たちからすると善意なんですけど、その善意の中に思惑だってもちろんあるし、文化が違うので、うまくコミュニケーションがとれなかったりとか。だから困っていて、それを助けたい人がいるのにうまく手を取り合えなかったりっていうケースがすごく多くって。それはすごく課題に感じたんですよね。解決するには、外の人たち(支援する側)と地元の人たち(支援される側)の両方の感覚がわかっていることがすごく重要なんだなって、思って。

自分には都市部の人の感覚が身についていて、尚且つずっと住んでいた陸前高田では地元の感覚がすごくしみついていて。水と油くらい離れているこの両者をどういうふうにうまく混ぜ合わせるか、っていうところで、Uターンの強みがすごく出るなとは思いました。

で、 その当時の陸前高田は「明日の水、どうしよう」っていうような世界で、一方で東京ではJRだってふつうに動いているし、人々の生活はそこにあって、世の中は動いてる。10日間くらいしていったん東京に戻ったとき、その東京での仕事って自分以外に誰かがまわせるんじゃないかなみたいな、これって僕がやらなきゃいけないことなのかっていう違和感がすごく強くなって。だから、自分が本当に今いるべきところは東京なのか、それとも陸前高田なのかっていうのは、そのとき天秤にかけるまでもなく陸前高田だったんですよね。
なので会社に相談をさせてもらって、5月末に退職して陸前高田に戻ってきて、その後同級生と一緒に復興支援団体を立ち上げました。

震災があって、ボランティア活動をするようになって、今の活動につながっているんですね。現在主に活動している内容や、そこに至った経緯や思いを教えてください。

そうですね、いろんなことをこの4年間の中でやらせていただいて、今やっているのは「認定特定非営利活動法人 桜ライン311」の活動がメインです。陸前高田市の津波の到達地点に桜を植えるという活動です。なぜ植えているのかというと、震災はどうしても風化するので。今回の津波も(前回の教訓が)風化して人がたくさん亡くなっているっていう面がやはりあるんですよ。なので、そうならないように、風化を止めるために、残された人間として何ができるだろうかっていうときに、次の世代に(津波が)きたことを残していくっていうのはすごく重要だよねと。それで、今関わっている理事たちと一緒に立ち上げた団体です。
そういう意味では、今の活動は緊急支援色は無くて、どちらかというと「防災・減災」、あとは「街づくり」というようなテーマになるかなと思います。

そういう意味では、今僕が取り組んでいることは、誰かを支援するっていうよりは、これからどうしていこうかっていうのにシフトしてるなと感じます。

◎岡本翔馬さんが代表を務める「桜ライン311」とは
岩手県陸前高田市内約170kmに渡る津波の到達ラインに10mおきに桜を植樹し、ラインにそった桜並木を作ることで、後世の人々に津波の恐れがあるときにはその並木より上に避難するよう伝承していくことを活動としている。ボランティアを募集しての参加型の桜の植樹会開催や、その後のメンテナンス、植樹する土地の所有者との合意形成などに主に取り組む傍ら、震災の風化防止や教訓の普及・啓発を目的として全国各地での講演活動や、桜並木を地元のまちづくり計画の一部として活用してもらえるよう提言する取り組みなども行っている。

3.岡本翔馬さんの思う、いわてのミリョクって?

4-1メッセージ

そうですね~、なんだろうな…、よくもわるくも田舎ってことなのかな。自然が好きだったり海が好きだったりっていう人からすると、夢のような空間に感じる時もあると思います。ただそれが一番のミリョクかっていうとそうではないですね。それって結局、どこの地方に行っても同じなので。
で、こういうと怒られちゃうかもしれないですけど、震災以降に圧倒的にミリョクと思われるものが増えましたよね、岩手県は。第三者的に見て。

例えばどんなものですか?

面白い人たちが今たくさんここにいて、世の中のお金の動きがいまここにあって。その大きな2つっていうのは今しかない。
それが震災があったからできたっていうのがまた皮肉なことだとは思うんですけど、それは今の岩手県にしかないミリョクですね。

東京や仙台とは違った多様性が、今のいわてにはある?

そうですね。もともと多様性のないところに、一時的に多様性が引っ越してきている感じなんですよね。で、その多様性に人だったりお金だったりモノだったりとか、あとは「思い」がついてくる。僕はその「思い」がすごく重要だと思っていて。震災復興という大きなテーマの中で、それと自分のやりたいことを重ねているひとたちもたくさんいるわけですよ。それは(被災した)東北3県どこもそうなんですけど、今ここの陸前高田とかいわてには、モチベーションの高い人たち、企業っていうのがすごく集中しているんですよね。それは今のいわてにしかないミリョクで。シビアに言えば、あとたぶん5年続かないミリョクなんですけど…。これを5年でおわらせないのが僕たちの、若者の役割なのかなと。

いま震災から4年経ちますけど、その多様性って必要だから引っ越してきたわけで、必要なくなったって感じたらいなくなってしまう人たちなんですよね。だからその人たちに「ずっとここに根を張ってやっていきたいな」と思わせられるかどうかが、正直なところ今後15~20年の岩手県沿岸、しいては岩手県の大きなポイントになると思いますね。
何かに乗っかるだけじゃなくて、何かを自分でつくることにトライすることもできるし、それは今ここにしかないんですよ。新しいミリョクを作れるのも、大きなミリョクですよね。

4.岡本翔馬さんから、若者へのメッセージ!

4-0メッセージ

すごく難しいんですけど、一番最初に若い世代に思うのは、自分でハードルを設定してほしくないなっていうのはすごく思いますね。どんどん広い世界に出てほしいなと思うし、広がる世界を楽しんでほしい。
東日本大震災ってもちろん痛ましい出来事ですよ、僕も同級生や知人を亡くしましたし…。でもそれを悲しいだけのものにしてしまうのか、それをプラスの方向に持っていけるかっていうのは自分次第なので。どんなことをやっていてもそうなんですけど、それを変えたりとか発展させたりとかっていうのは、もちろん周りの環境が影響しないかといえばそれは嘘にはなるけども、一番決定的なものは自分です。

今回の震災でいわてがすごく変わるはずなんですよ。変わらないと、地方都市としては終わってしまうかもしれない。だから「そうならないように、自分が何か作用できるかも」って動けるのは今しかない。
で、そのためにはたぶんすごくたくさんのトライ&エラーが必要です。
若い世代の得意なことが、まさにトライ&エラーだと思うんですよね。時間的な猶予だってたくさんあるし、世の中に対する変化の速度に追いついていきやすい世代だと思うので。スピードと実行力っていう言葉を僕はよく使うんですけど、それはね、若い人の圧倒的なアドバンテージなので。それを最大限発揮してほしいなと思います。

それから、けっこう意識しづらいけど、自分が主役だって思ってほしい。20年後30年後には僕らがこのいわてを中心にまわしていく世代(40~50代)になっているので。うまく自分事化して、自分がこの県の後々の主役になるんだなって意識をどこかに持ってくれるとすごくいいのかなと思います。
ただ、そのために自分をどこか我慢したりとかする必要は全然なくて、好きな事をやって、突き詰めたらそれが結果としていわての為になることのほうがほとんどなんじゃないのかな。
こういうのを話すと、なんか年取ったなーってすごく感じるんですけど(笑)

新しい世界に足を一歩踏み出す時もそうなんですけど、できない理由だとか、踏み出せない理由とかに捉われてやらないことのほうが実際すごく多いと思うんですけど、それってやってみると、とるにたらないことのほうが圧倒的に多いはず。
自分もその、第一歩を踏み出し続ける人でいたいなとすごく思うんですよね。それをきっと次の世代の子たちも見てくれていて、こういうとすごくおこがましいですけど、次の世代の子たちにとって、かっこいい大人で居続けたいなと思うんですよ。
そういうところで活動している一人として、彼らが目標として思ってもらえるような活動を続けていきたいなと思いますね。

若い世代にとって、岡本さんも「多様性のある人たち」の中のひとり。
多様性のある環境にいる今の若者たちには、たくさんのチャンスがあるということですね。
ぜひ自分の限界を設定せず、世界をひろげて、自分が主役だと思って力を尽くしてほしい。
岡本さんのように熱意ある若者たちがあふれる場所、いわて。
若者たちが担う「いわての未来」、楽しみですね!

 

スピードと実行力!それが若者のアドバンテージ!

岡本翔馬さんの熱いメッセージ受け取っていただけましたでしょうか?
次回もいわてで活躍する方を引き続き取材していきます。
お楽しみに!!


◇岡本翔馬さんが代表を務める「桜ライン311」の活動紹介ムービーを公開!

※こちらの動画は「認定NPO法人 桜ライン311」様の許可を得て掲載しています