2019.3.27(水)

「人は『疎外』をどこまで手放すことができるだろうか」板垣 崇志

    

取材対象者:板垣 崇志(いたがきたかし)さん

対象者プロフィール

岩手県花巻市出身。社会福祉法人光林会「るんびにい美術館」アートディレクター。東京学芸大学、岩手大学を卒業後、画家を目指しながら、印刷会社や同法人に非常勤職員として勤務。2007年から正職員となり「るんびにい美術館」の立ち上げから運営に携わる。展示や取り組みを通して、見る者の「命に触れる」アートを発信している。

 

何か新しいことを始めている人、何かを発信している人。そういった人々の多くは、何かしら自分なりの「哲学」を持っているように思えます。「自分が大切にしたい哲学」を考え、見つけることは、新しいことを始めるときの手がかりになるのではないでしょうか。

「いわてつがく」は、そんな思いのもと、岩手県出身のさまざまなクリエイターの「哲学」を紐解いていく連載です。

 

第2回目は、「るんびにい美術館」でアートディレクターを務める板垣崇志さんへインタビュー。岩手県で初めて知的障害のあるアーティストの作品を中心に常設展示する「るんびにい美術館」での取り組みや板垣さんの活動の原点をお聞きしました。

 

人と関わりたくない、なにもしたくない

自分のルーツは周りの人達に馴染めなかった疎外体験にあります。

——疎外体験?

子供の頃から空気が読めなくて、友達同士の輪の中に上手く収まることができなかったんです。「なんで友達はこんなことで怒っているんだろう」とか、そういうことがピンとこなくて、自分にはちんぷんかんぷんなことが多かった。

そうして、友達関係での小さなつまずきを無数に重ねるうちに人と関わるのが嫌になってしまったんです。人って難しいんだなって。人といると、「今、自分は失敗していないか」とか「自分のちぐはぐな感じを露呈しないようにしなきゃ」って、だんだん気を遣うようになって、疲れるようになりましたね。

 

——人と関わることが苦手だったのですね。

なので、自然の中とか、静かな場所が好きでした。なるべく誰とも関わらずに生きていたいって思っていましたね。

だから、大学を卒業した後も、「働かないといけない」っていう気持ちは全くなかったです。仕事だとしても、人と関わることはしたくなかったので、「なにもしたくないな」と思っていました。興味のあることはいろいろあるんだけど、人生を費やして、何かをやり遂げたい、追求したいという強いモチベーションを持てるものがずっとなかったんです。生まれてこの方思ったことがなかった。

 

「疎外」をなくすための実験

——「何もしたくない」という気持ちを抱きながら、るんびにい美術館での仕事に就いたのは何かきっかけがあったのですか?

30歳が近づいてきた頃から、このまま20年30年と人生を過ごすことに果たして自分は納得できるのかな、って不安に思うようになってきたんですよね。「なにもしない」のがしたいことだけど、それで自分は満足できるだろうかってじーっと考えるようになりました。

そんな中、るんびにい美術館を運営している「社会福祉法人光林会」理事長の三井信義から「るんびにい美術館の立ち上げに携わらないか」と紹介を受けました。

そこで、美術館のコンセプトを考えているうちに、「るんびにい美術館での仕事なら、自分がひどいと感じている社会を変えることができるかもしれない」って思ったんです。これまで変わるものだなんて思ったことがなかったから、「変えられる」と思うと、面白そうだなと感じて。それから仕事に就いて、精力的に仕事をするようになりました。

 

——どんなことで「社会を変えられる」と考えたのですか?

私がそれまで抱えて過ごしていた「疎外」をなくすことができるかもしれないなと考えました。確信よりは、「できるんだろうか」という挑戦ですね。「実験」とも言えるかな。

 

——疎外をなくすことができるだろうかという実験。

人はいろんな理由で疎外を必要とするんですよね。
特定の性質や特徴、立場を持った人を疎外して過ごしている。きっとそこには生物学的な理由もあるんだと思います。でも疎外を解消するためにはその原因を突き止めないといけないし、その原因を変えるためのアプローチをしないといけません。そう考えて、美術館での事業の方向性が引き出されました。

 

——板垣さん自身が抱いていた疎外感はどのように解消できたのですか?

私は初めてルンビニー苑(光林会が運営する障害のある方の支援施設)に訪れた時に、知的障害のある方たちと出会って、「自分がこの人達の中だったら絶対疎外されない」って安心できました。自分と近いのは、これまで周りにいた友達じゃなくて、この人達だなと思ったんです。そこで、自分がそれまで抱えていた疎外感が初めて晴れていくような感覚がありましたね。

 

——疎外感が晴れるほどの安心感はどこから出てきたのでしょう。

私が彼らを必要としたんですよね。つまり、ルンビニー苑にいた知的障害のある方たちに救われたってことなんです。

知的障害のある方たちって、「困っている弱い立場」の人たちとして「助けてあげないといけない」人たち、と捉えられていると思うんですけど、そうではなくて。十分、人を救ったり、人の力になれる、すごく重要な社会的な示唆を持っている方たちです。

だからこそ、私が見出したこの方達の力をちゃんと世の中に認識されるようにしていかないといけないなと思っています。

 

人の存在を伝える

——具体的にどんなことで疎外をなくすためのアプローチをしているのか、教えてください。

まずひとつは、美術館での展示など造形表現を通して間接的に、人の存在を伝えることを行っています。

なるべく人物の気配や息遣い、体温が伝わるような作品紹介を心がけながら、知的障害がある人達の、内面性の広がりや奥行き、多彩さを伝えます。

 

——他にはどんなことをしているのですか?

他には、平日の開館日の午前中にアトリエを開放して見学ができるようにしていることと、県内の中学校や高校への出前授業を行っています。出前授業の講師を務めるのは、知的障害のあるアーティストの方自身。「人の存在を伝える」ために、直接その人と出会うことに勝ることはないという考え方で事業を行っています。美術館の展示と同じように、その表現や造形を通して、伝えたいのは「人物」なんです。

 

——アートと鑑賞者が対峙するのではなくて、知的障害のある方と鑑賞者が繋がるために、作品や様々な取り組みがあるのですね。

そうです。「人の存在を伝える」ために、その人と出会うだけでは見えてこない、重要な3つの要素を意識して伝えています。

ひとつ目は、その人が積み重ねてきたこれまでの時間、「人生」を伝えること。

ふたつ目はその人を取り巻く「関係性」を伝えること。その人がひとりでこの世界にいるのではなく、家族や学校の先生など、いろんな人と繋がって、今ここにいる。誰かにとって、すごい大切なかけがえのない存在なんだっていう、関係性の中でのその人の立ち位置を伝えます。
みっつ目が「心」ですね。その人自身が表情や言葉で表情することは難しいんですが、みんなとても豊かな内面性を持っているんです。「心」は造形表現で伝えるのが一番力がありますね。

 

——「人生」、「関係性」、「心」が伝わってくると、確かにその人自身のことを深く知ることができそうです。

そうですよね。最終的には、その人自身のことを知ってもらった上で、名前を覚えてもらうことがとても重要だと思っています。

普段は、ひとりひとり名前がある存在だってことすら、自覚されていないんですよね。縁もゆかりもない知的障害のある人。まちなかで見かけると、得体の知れない行動をとっていて、「怖い」とか「不気味だな」って思われたりする。でも、その人のことをちゃんと知ると、「るんびにい美術館から来た人」とか「知的障害のある人」ではなくて、呼び方がその人の名前に変わるんです。そうして、一人の人に、肯定的な感情を持つと、そこから知的障害のある方への肯定的なイメージが一般化していきます。たったひとりに出会うことで、全体に波及するんですね。

 

今感じていることがその人のすべてではない

——ひとりの人を知っているかどうかで、イメージに大きく差がでますね。

人に対するリテラシーが身につくと思います。人を見た時に、外見の特徴や声、表情など表面的な情報だけで「この人はいい人」、「この人は悪い人」という選別をしてしまいがちですが、そうではなく、もう少し踏み留まって、「この人の背後には何があるんだろう」と気にする、注意深さや忍耐強さが必要です。ひとりの人のことをちゃんと知るには時間がかかるんです。自分が今感じていることが、その人のすべてではありません。そういう人に対するリテラシーを育むことも目的として事業を行っています。

 

——これまでお話を聞いていると、板垣さんが「アート」や「福祉」だけでなく、「疎外」に対する強い意識を持って活動されていることが伝わってきます。

そうですね。取り組んでいるのは「疎外」という問題の解決です。知的障害のある方たちに限ったことではなく、「疎外」がなくなって可能な限り多くの人が幸せになれる状況が実現できるといいですね。

 

——最後に岩手の若者に何か伝えたいことがあれば、メッセージをお願いします。

一番は、みんなに幸せになってほしいなって思っています。なるべく多くの人が、自分の納得のいく人生や「生まれてよかった」と思えるような人生を送れるように。そう祈っています。今を幸せに感じていない人も、きっといつか幸せに思えるときがくるから、諦めないでいてほしい。楽観的に聞こえるかもしれませんが、苦しんでいるっていうことは、快さを目指す本能に突き動かされている証拠です。苦しい時は、エレファントカシマシの「奴隷天国」という曲を聴いてみてください。私はできる限りのことをして、みなさんが幸せになるために役立てることをやっていきたいなと思っています。

 

——板垣さん自身は今幸せに感じていますか?

私は幸せですね。いろいろ不安とか困りごととかはいっぱいあるし、何十年と解決できないでいる、なかなか前に進まない宿題みたいなものもあるんですけど、それも含めて、自分が生きているっていうのはいいことだなって思えます。で、生きている間に「人が疎外をどこまで手放せるか」という挑戦をやれる限り続けていたいです。もう、それが人生での大きいイベントのような感覚ですね。おもしろいですよ。

 

編集後記

インタビューでは、「『これが正しいことだからやってくださいね』ということではなくて、『面白いでしょ』、『そして嬉しくなるでしょ』って喜んでもらいながら、伝えたいことを受け取ってもらえると嬉しいです」ともお話してくれた板垣さん。確かに、板垣さんの話しぶりからは、「福祉」や「アート」に関わる取り組みについて、強い責任感や使命感よりも、おもしろがりながら活動をされているのだなということが感じられてきました。

板垣さんが目指す強制や押しつけによってではなく、そうした板垣さんのおもしろそうな様子が広がって、「疎外のない多くの人が幸せな未来」が実現されることを、私も願っています。

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