2017.3.1(水)

タイトル「いわてびと」

〜 番外編その16 「頑張る」ことをやめて、見えてきたもの―奥州市・奥州市国際交流協会職員/黒石寺僧侶 藤波大吾さん― 〜

    

いわてで活躍するいわての若者や団体を紹介する「いわてびと」めっけ!

※「めっける!めっけだ!」は、岩手県など東北地方の方言で「見つけた!」「発見!」という意味。

番外編では、いつものコネックさんではなく、岩手県庁の若手職員が若者を取材しています!
奥州市国際交流協会職員として活躍する傍ら、黒石寺僧侶としてイベントを手がける藤波大吾さんをめっけ!

fujinami01
藤波大吾(ふじなみ だいご)さんは岩手県内で行われている蘇民祭の中でも知名度の高い黒石寺(こくせきじ)住職の長男として生まれ、海外留学、アフリカでの勤務を経て、地元奥州市に戻り国際交流協会で勤務されています。国際交流協会での勤務の傍ら、黒石寺で竹あかりやコンサート、ヨガなどのイベントも企画しています。「自然体」という言葉が似合う藤波さんに、お話を伺いました。
1 日本語の学びと留学、そして海外勤務
―現在は奥州市の国際交流協会で勤務されていますが、大学では何を専攻されていたのですか。

藤波:外国語学部日本語専攻で、文法や文学など日本語について総合的に学びましたが、日本語を学びたかったというよりは、日本語教師になりたかったんです。外国の人に日本語を教える仕事がしたかったので。卒業後は2年ほどイギリスの大学院に行き、そこでも日本語教師になるための勉強や言語学の研究などをしました。その後西アフリカのベナン共和国という所に、北野武さんの付き人だったゾマホンさんが作った「たけし日本語学校」という学校があるんですが、そこで実際に日本語教師として2年働きました。教え子で日本の大学に来た人もいますし、中には今でも交流がある人もいますね。

―留学や海外勤務の経験が藤波さんご自身に与えた影響などはありますか。

藤波:当時は生きていくことで必死でした。言葉を覚えたり、論文を書かなければいけなかったり、仕事をしなければならなかったり。影響を自覚できたのは、どちらかっていうと、帰ってきてからですね。海外に行って帰ってきたから自分はこういう人だと決めつけたり、「こんなことができる」とか、「他の人が知らないことを知っている」とか、ちょっと調子に乗っていたんです(笑)が、ずっと日本にいる人でも自分とは全く違う視点でものを見られる人もいるし、そういう人に結構会って、逆に海外に行って自分の価値観やモノの見方などが固まっちゃった部分もあったんだなって。そういうことに気づけましたね。

2 1本目の柱・国際交流
―国際交流協会ではどんなお仕事をされていますか。

藤波:電話をかけることとメールをすること(笑)。あとは人材のマッチングですね。自分たちで開催するイベントの人集めもありますが、例えば地区センターのイベントで外国人に料理を教えて欲しいといったリクエストがあったときに、講師の先生を探したりします。他にも、病院で通訳をする医療通訳というシステムがあるのですが、それに登録している人を病院に派遣したり。ホント電話とメールばかり、人をつなげてばかりです(笑)。
あとは相談対応もします。病院に行きたいけど言葉が分からない、日本語がまだ上手じゃなくて仕事が中々見つからないといった相談です。そういうときは、直接通訳を紹介するやり方もあるし、日本語教室で外国人に日本語を教えるとか、医療通訳のシステムを作って備えるという長期的な解決方法もあります。

―ILC(国際リニアコライダー)誘致関係の業務もありますか。

藤波:そうですね。活動の主体は県や市ですが、私たちは脇でサポートしてる感じですね。
例えば市が、外国人研究者とその家族が暮らしやすいまちづくりについて外国の人のアドバイスがほしいとなれば、私たちがその人たちを集めたりします。あるいは、もうこちらで外国の人をある程度集めて組織を作り、意見をまとめて知事や市長に提言するといった活動をしています。

3 もうひとつの柱・黒石寺
―実家の黒石寺についてお伺いします。海外からの観光客も結構来たりするんですか?

藤波:来ませんよ(笑)。だって、奥州市に来たら世界遺産の平泉に行きますよ。(笑)うちのお寺は、仏像とか平泉より古いものがあるので、本当に好きな人、マニアックな人が来ます。交通の便がいいわけでもないので、普段はあまり来ないです。

fujinami02

 (黒石寺 国指定重要文化財の薬師如来坐像(862年)などがあります。取材時は蘇民祭の準備が行われていました。)

―黒石寺で開催されているコンサート。きっかけは何だったのですか。

藤波:日本に帰ってきたときは、海外経験を活かして何かしなきゃいけないと思っていたのですが、それがすごくしんどくて、「何かしなきゃ」というのをとりあえずやめました。頑張るのをやめて、興味があることをやっていくというか。そうすると勝手に繋がるんです。頑張り過ぎると、固まってしまうので、適度に隙間があったほうが良いんです。そういう気持ちで僕が「やりましょう」って呼びかけて開催することになりました。お寺でコンサートもよくある話ですけど、色々なつながりの中で、自分が「積極的に企画する」というより「そうなる」って感じですね。

fujinami03

「ERYCA & 柴田敏孝 Butter Effect Tour」写真提供:藤波大吾さん

―コンサートの他にも、お寺で竹あかりやヨガも企画されています。

藤波:奥州市出身のミュージシャンのERYCA(エリカ)さんという人がいるんですが、アフリカから帰ってきてすぐERYCAさんを紹介され、「海外の子供たちに、日本で使われなくなった鍵盤ハーモニカを贈るプロジェクトを手伝ってくれませんか」と言われたのが最初です。彼女のグループがまちなかで竹あかりのイベントをやっていて、せっかくだから雰囲気もいいし黒石寺でもやるか、という話になって、2年前から始めました。
ヨガは、妻がやりたいって言ったんです。ヨガの先生と知り合いで。流行りです(笑)。でも、お寺でやると雰囲気もいいし、単純に気持ちいいですよ。初夏の季節は特に。

fujinami04

(竹あかりの様子)写真提供:藤波大吾さん

―今年もお寺でイベントは開催されますか。

藤波:コンサートと竹あかりはやりますね。コンサートは、ERYCAさんともう一人ピアノ奏者がいるんですが、「お寺」とか「祈り」といったテーマがあるんです。ジャンルに関係なくキレイだと思うものを音にするとか、そういう人たちなので、お寺という空間にあっているかなと思います。
竹あかりとかは、みんな「キレイだね」って嬉しそうだからやる。コンサートは、演奏する人たちが面白い人達だからやる、って感じですかね。ヨガはいろんな人にきてもらうためにやる、というのはありますね。

4 活動の芯になるもの
―藤波さんがいろいろな活動に関わっていく中で芯になるもの、心の拠りどころは何でしょうか。

藤波:なんだろう、そのときによって違いますね。でも、最初はアフリカとか国際交流協会とか、それぞれ経緯や活動する理由があったんですけど、最近はそれがちょっとずつ繋がってきて、結局、どれかが芯というよりは、みんな一緒かなって思うようになりました。
その時々で自分の中にテーマがあるんですけど、具体的に言えば、僕今、背骨が好きなんです。なんで背骨が好きかっていうと、座禅っていうのがあるじゃないですか。座禅って、心の問題っていうか、無心になることだって思うでしょ。だけど、実はまず体なんですよ。心が体に表れるし、体が心に影響を与えますよね。そうしたときに、体の軸になる背骨がどういう状態かとか、そこに繋がる骨盤がどういう状況か感じるようになると、座り方が変わるわけですよ。座り方が変わると、意外と生き方が変わるんですよ。

普段感じていないところを感じようとする態度というのは、自分が気付いていないところを見ることができる一つの入り口になるのかなと思います。

今まで普通にものを見て、無意識に思うこと、言うこと、人によってそれぞれ違うと思いますが、完全に自分の中の型になっているんですね。背骨の型もそのうちの一つ。自分の型がどういう形で、どういうことをする傾向があるかをちゃんと見ることって意外と忘れていると思うんです。忘れているけど大事。結局自分の見方一つなんですよ。
何かいつも見ている景色があって、それは自分自身の型で見ているんだけど、実はその型が全部間違っているかもしれないじゃないですか。それをガラッと変えたらもっと楽しいかも、と思います。

―将来の展望について、お聞かせください。

藤波:背骨をもっと探求したい。(笑) 背骨はある意味隠喩(メタファー)だけど、まず自分自身を探求していきたいですね。それが自然に自分の中で学びになって、いろいろ繋がるかなって思います。
お坊さんってこうあるべきだ、みたいなことってあるじゃないですか。これまでは、僕もそういうみんなのイメージを敏感に感じ取るところがあって、頑張っていたんです。今も頑張っちゃうところがあるんですけどね。見た目ほどスッキリとしてないです。毎日結構もやもやです。(笑)

「頑張る」ことをやめて、自分と向き合うことで見えてきたもの。それは、ゆるやかに変化していくことに楽しみを感じる、藤波さんご自身の姿なのではないでしょうか。

黒石寺(facebookページ):https://www.facebook.com/kokusekiji/
奥州市国際交流協会:http://oshu-ira.com/