2016.12.21(水)

タイトル「いわてびと」

〜 番外編その8 「大阪弁の岩泉町民」 岩泉町-志たあめや 橋本充司さん 〜

    

いわてで活躍するいわての若者や団体を紹介する「いわてびと」めっけ!

※「めっける!めっけだ!」は、岩手県など東北地方の方言で「見つけた!」「発見!」という意味。

番外編では、いつものコネックさんではなく、岩手県庁の若手職員が若者を取材しています!
第8弾となる今回は岩泉町の「志たあめや」さんで働く、橋本充司さんをめっけ!

 

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  大阪府出身の橋本充司(はしもと あつし)さんは、地元の大学を卒業後、東京でサラリーマンとして働いていましたが、現在は岩泉町の「うれいら商店街」にあるお菓子屋さん「志たあめや」で働いています。なぜ岩手に来ることになったのか、なぜ奥様の実家で働くことになったのか、そして「うれいら商店街のっとり計画」とは。お菓子に囲まれながら、お話を聞きました。

 


1 「いわて復興応援隊」っていうヒーローみたいな名前の、知ってます?

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店先を歩いていた猫。かわいい。

 -ご出身が関西だと、東北と結構距離があると思いますが、岩手に来たきっかけは何ですか?

震災ですね。「いわて復興応援隊」っていうヒーローみたいな名前の、知ってます? 僕はそれの一期生です。

震災のとき、僕は東京でサラリーマンをしてたんですけど、「何かしたい」「手伝いがしたい」って悶々としているときに、いつも行ってる食堂で新聞を読んでいたら、岩手県が「いわて復興応援隊」っていうのをやるよっていう記事があったんです。「これ、ええんちゃうかな」って思って、記事の最後の方見たら、担当者と電話番号が書いてたんですよ。そこで電話かけて…っていう感じです。申し訳ないけど、それが「みやぎ復興応援隊」やったら、たぶんそっちに行ってると思う。

 -岩手に来ていただき、ありがとうございます(笑)。「いわて復興応援隊」としては、どのような仕事をしていたんですか?

岩泉町役場の観光課に配属になったんですけど、行政の仕事なんて知らないし、観光のことも考えたことないし。「活動家やってたんですか?」とか「観光の仕事やってたんですか?」とか聞かれるんですけど、一切やったことなくて、サラリーマン時代はステンレスや真鍮を売るような営業の仕事やアパレルの仕事をしてたんです。

 -でも、観光課に配属されてしまった、と。

観光課に来てはじめに考えたことは、お客さんは、相当変なこと、「何してんねん、あそこ。ちょっと行ってみるか」というくらいのことをしないと観光に来てくれないってことですね。ただ、行政ってできることの幅とか、やっちゃダメなこととかあるし、やったらアカンって誰も決めてないけども前例がないからやりたくないとか、ディフェンシブにものを考えるから、「他がやってることやっても意味ない」観光とは矛盾してるんですよね。

 -なかなか耳が痛い話です。

それで悶々してたときに同じように悩んでいたのが、龍泉洞で働いてた今の嫁さんで。辞めることを考え出したときに、最後に「じゃあ辞めるんやったら、自分たちが思う本当の『こうするべき』って形でガンガンやろうか」言って、龍泉洞の冬場にいろんな企画をやったんよね。

そしたら、余所の人と関わってやった企画とかも多いから、関わってくれた人がすごい喜んでくれて。いまだに連絡くれるような人もいっぱいおるし、町の人は「ようやったな、そんなん」って言うてすごい喜んでくれるし。やっぱり楽しんでくれた人、喜んでくれた人がいるっていう方が正しいやろ、って思ったんですよね。でも結局役場は辞めることにして、嫁さんの実家の「志たあめや」に来たっていう形です。


 2 歴史遺産的な作り方

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お菓子について解説中。

 -「復興応援隊」から「お菓子屋」へのジョブチェンジ。どういう経緯だったんですか?

前から、ここの家族には良うしてもろうてたんです。実は嫁さんが僕より1年早く仕事を辞めてお店を手伝っていたんですけど、そこでお店が結構大変だっていうのがわかって。長く続いてるお店がおしまいになるのはもったいないし、結構商品力もあったりするから、「これいけるで」って思うて手伝うことにしました。

ここは古くからやっていて、創業が天保3年・1832年で、今年で184年になるんですよ。

 -めっちゃ古いですね!

その「古さ」っていうのが、めちゃくちゃ大きい武器やと思ってます。「志たあめや」っていう名前からして、飴ちゃんがスタートらしいんですよ。良くも悪くも作り方を工夫して機械入れたりとか、簡単な作り方に変えたりとかっていうのを全然していなかったから、手間はかかんねんけど、歴史遺産的な、「そのままかい!」みたいな作り方をしてる。それがやっぱり武器やと思う。

丁稚奉公(でっちぼうこう)って分かります? そういう時代から40年以上働いてらっしゃる職人さんが飴を作ってるんですよ。

 -ずっと変わらない伝統の味なんですね。

 3 本気出したら15万人くらいお客さんを呼べるんです。

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秋空の宇霊羅(うれいら)山。「うれいら」はアイヌ語で「露や霧の多い山」を意味する。

 -うれいら商店街には、「栗絞り」で有名な「中松屋」さんや、ホルモンが熱い「上あめや」さんもありますし、なんといっても岩泉には、龍泉洞がありますよね。

岩泉のポテンシャルはすごい高いはずなんですよ。龍泉洞なんて、お客さんが減った減った言うても、去年で17万人くらい来てる。

うれいら商店街って、龍泉洞から2キロ半くらいなんですよね。すぐそこに17万人来てるのに、商店街に17万人来てへんでしょ。だから、本気出したら15万人くらい商店街にお客さんを呼べると思うわけですよね。

 -15万人はわからないですけど(笑)。そこで企画されたものの一つのが「うれいら商店街のっとり計画」ですね。何か新しいことをやろうとすると、独特の難しさとかないですか?

僕らみたいに外から来た人は、“しがらみ”っていうのに気づかずにパーッと暴走できるから、そういう意味では僕らみたいなのが入ることはいいことやと思う。役場にいた頃、商店街との企画をしようと「すんませーん」「こんちわー」って頼みに行けたのは、やっぱりそういうのも知らんし、完全な役場の職員っていう訳じゃなくて、“何かよう分からへんやつ”っていうのやから、うまくいったのかもしれんね。

 -とんとん拍子に話が進んだのでしょうか。

初めは「何言うてんの?」みたいな感じではあったけども、商店街の現店主の世代の人たちに協力をお願いしに行ったら、「僕らはこの子らが面白い言うてることがホンマに面白いか分からへんけども、やりたい言うてんねんから、協力してあげようよ」言うてくれて。それが僕の誤算やったし、ラッキーでしたね。


 4 うれいら商店街のっとり計画!!

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岩泉の将来を担う若者たちが並ぶ「うれいら商店街のっとり計画」のポスター

 -これが「のっとり計画」のポスターですね。(店中に貼ってあったポスターを見ながら)

あえて、「ポスターだけじゃ何やってんだかよく分からん」って風に作りたかったんですよ。「意味分からん」ってバッシングはありましたけど、興味を持ってくれたのなら検索してくれ!というようにしてるんです。

実は龍泉洞で嫁さんといろいろ企画した年に、企画協力のお願いをしてた商店街の人たちの息子・娘世代が偶然ポンポン帰って来てたんですよ。これは、どっちか言うたら今後そっちの世代が頑張っていかなあかんから、「そいつらに声かけてやってみよう」ってやった企画ですね。後継者の世代が売りたい商品やサービスを、自分の店をのっとって提供してしまうという企画です。

 -後継者世代の皆さんはどんな人たちですか?

ホンマに煮え切らへんこと多い(笑)。「協力はします」みたいな感じやから、「いや、自分で面白い事考えようや」って。会議とか、メンバーの一人がやってる居酒屋で皆並んで決める事とか喋るんやけど、僕ばっかり喋ったりして。「決まった決まった、ほな終わり」で飲み始めると、そこからはもうキャッキャする。「喋れや!さっき」っていう(笑)。僕の仕向け方も相当悪かったと思うので、どうしたらいいのか考えましたけど、明確な答えは得られず仕舞です。

 -最後に、今後の予定を聞かせてください。

ひょっとしたら、のっとり計画はまたやるかもわからないです。実は「のっとり in 国体」っていうのをやる予定だったんですよね。それが台風のせいで流れてしまったんです。でも、ありがたいことでもあり、「しんどいなぁ」と思うことでもあるんですが(笑)、「やっぱりやれへん?」っていう連絡が今日もきたんです。うちの嫁さんもかなりやる気になっているみたいなので、もう一回やるかっていう気にどんどんなってきてます。

そうなったら、イベントの周知とか、ぜひ手伝ってください(笑)。

 

 


 

 「よそ者」「ばか者」そして「若者」。
 何かと背負わされる「三者」に橋本さんは当てはまってしまっています。
 「しんどい」なんて言ってないで、今度は俺たちと一緒にガンガンいこうぜ!!

 

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