いわて若者会議2018 いわて若者会議 若者が地域の課題解決を目指して自…
2016.7.24(日)
いわてで活躍するいわての若者や団体を紹介する「いわてびと」めっけ!
※「めっける!めっけだ!」は、岩手県など東北地方の方言で「見つけた!」「発見!」という意味。
第19回は、金ケ崎町の地域おこし協力隊で、文化遺産活用隊員として活躍している、板垣泰之さん(30)と、岩隈大樹さん(29)を、めっけ!
第19回 金ケ崎町地域おこし協力隊の皆さん
<地域おこし協力隊とは>
2009年に総務省によって制度化された、地方自治体が地域おこしや地域の暮らしなどに興味のある都市部の住民の人材募集を行い、募集自治体が自らの住民として受け入れて、地域おこし協力隊員として委嘱する制度である。
隊員には地域ブランド化や地場産品の開発・販売・プロモーション、都市住民の移住・交流の支援、農林水産業への従事、住民生活の維持のための支援などの「地域協力活動」に従事してもらい、地方自治体は、隊員の定住・定着を図る。これらの一連の活動を通じて、地域力の維持・強化を図っていくことを目的としており、2015年度には全国673の自治体で2,625人の隊員が活躍している。
「地域おこし協力隊」について、詳しくはこちら(一般社団法人移住・交流推進機構の地域おこし協力隊のHPへ)
→ http://www.iju-join.jp/chiikiokoshi/
<金ケ崎町地域おこし協力隊とは>
金ケ崎町が町内の文化遺産の魅力を発信するために雇用した地域おこし協力隊員である。
文化遺産の魅力を発信するだけではなく、地域住民が誇りに思えるような活用方法を住民と一緒に考え、まちづくり活動に取り組んでいる。昨年夏には、活動拠点として、同町西根本町の空き店舗だった酒屋を改修し、イベントや住民交流の場として開放している。
・岩隈大樹さん(右)埼玉県加須市出身。2014年5月着任。
・板垣泰之さん(左)仙台市出身。2014年9月着任。
「金ケ崎町地域おこし協力隊」について、詳しくはこちら(金ヶ崎地域おこし協力隊のfacebookへ)
コネックが現地に飛んで、歴史系男子のお二人にインタビューしてきたクサ♪
コネックです。初めまして。
こんにちは。板垣泰之です。
岩隈大樹です。よろしくお願いします。
ここが活動拠点?雰囲気は、レトロな酒屋さんみたい・・・(写真は、おまけを見てね)
元々は酒屋さんで「大松沢酒店」の空き店舗を改修して昨年の夏から使っています。ここで歴史講座やイベントを開いたり、「開店」しているときは、お年寄りから子どもたちまで地域の人たちが遊びに来てくれますよ。
そもそも「金ケ崎町地域おこし協力隊」って、どんな活動をしているの?
町内には国選定「城内諏訪小路重要伝統的建造物群保存地区」や国指定史跡「鳥海柵(とのみのさく)跡」などがあり、文化遺産を活用した地域づくりをメインに活動しています。ラジオや広報で文化遺産を紹介したり、小学生を対象に地域に誇りを持ってもらえるような場所を紹介したり、さまざまな事業を増やしているところです。
学校と連携した活動のほかに、自主事業で子どもたちを集めて城跡や遺跡を探検する「金ケ崎歴史探検隊」をやっています。地域で古い写真を集めて地域のお年寄りに歴史を語ってもらい、思い出を語っていただくような場もつくっています。
歴史って難しいクサ…。子どもたちにどうやって教えるの?
遺跡で遊んでもらうのが中心ですね。実際に現地に足を運んで体感してもらいます。例えば、チェックポイントを設け、堀を隔てた向こうに的を置き、矢に見立ててボールを当ててもらうんです。そうすると、堀を攻め込むって大変だよね、平らな所はお城をつくったり陣地にするのにちょうどいいよねと体験して分かるんです。クイズや宝探しなどもやります。点数を入れた紙を封筒に入れてぶら下げておくと、子どもたちが探し当てて盛り上がります。
楽しそう!やってみたいクサ!
石器で野菜を切ってみたり、火おこしをしてみたりもしました。
火おこしΣ(・□・;)
いったいどのくらいで火がつくの?
早い人は3分ぐらい。子どもたちはいつまでたってもつかないです。力を入れてこすらないといけないですから。
昔の人は大変だったクサ…。
勉強っていうより、地域の歴史を体験として記憶する、体に刻んでもらう。大人になって町を出たときでも、小さい頃、こんなことしたなと思い出してもらえれば、後々、金ケ崎を誇りに思ってもらえる人が増えるのではないかと思います。知識だけだとしっくり体に入ってこない。
金ケ崎町内に大学とかはないので、高校卒業後、一度は町を出る人が多いと思いますが、どんな町か聞かれたとき、答えられるような人になってほしい。
お二人はどんな子ども時代を過ごしたの?
博物館や科学館によく遊びに行っていました。
私はいわゆるニュータウンで育ったので、身近には伝統的な祭りや遺跡はありませんでした。しかし、同じ町内の旧市街には神社やお寺がいっぱいあり、祭りにも参加できました。
私が住んでたところは仲間はずれのような、独特の寂しさがありました。両親も埼玉県出身ではなく、結局、そこをふるさとと呼べるのかという思いがありました。その反動からか小さい頃から歴史が好きで、神社とか古墳がすごく好きでした。隣町に「埼玉(さきたま)古墳群」があり、よく行っていました。金ケ崎は身近に史跡がたくさんあり、歴史好きとしては本当に恵まれた環境だと思います。
私は元々歴史が好きで、学芸員の資格を取りました。町の人たちに歴史に興味を持ってもらいたいと思い、金ケ崎地域おこし協力隊に入りました。
金ケ崎にきて感じたことは地元の人が地域の魅力に気付いていないのです。この町は便利で、季候も良く、工業団地も仕事もあります。だから、あまり興味ないのかなと思いました。
北上と奥州、二つの大きなまちの間にあって、何かしようとか遊びに行こうとすると自分のまちではなく、大きなまちに行ってしまう。
子どものうちから歴史に親しむ活動をすれば、町のことをもっと知ろうとして未来につながるのかなと思いました。
歴史を伝えるキャラクターもいるんですよ。金ケ崎覆面町民の「千貫石太郎(せんがん・いしたろう)」です。呼べばすぐ来てくれます。マラソンもするし、歌も歌います。ジャージ姿で機動性は高いです。
今すぐ会いたいクサ。石太郎さ~ん!
近くにいると思うので、ちょっと呼んできますね。
-----3分後----
こんにちは。石太郎です。1690年生まれ、326歳です。
昨年、存在が確認されたばかりです。
長生きだね。今どんな活動をしてるクサ。
今は、歴史探検隊や小学校の連携事業のときに講師をしたり、クイズを出したりしています。協力隊のイベントでガイドのお手伝いもしています。6月末には「要害ウォッチ」のイベントでもガイドをやらせていただきました。イベント名に「要害」という聞きなれない言葉が付いていますが、金ケ崎は江戸時代には仙台藩の最北端で南部藩との藩境を守る重要な場所だったため、仙台藩によって「要害」とよばれる小さな城下町が築かれたことに由来します。今でも武家屋敷や生垣などが残り、歩いて回ることによって当時の面影を感じることができます。
額の文字は「貫」?
町内の地名、千貫石(せんがいし)から取りました。「伝建地区」の武家屋敷には茅葺屋根が多くみられますが、実はその茅は町内の千貫石茅場で育った茅なんですよ。千貫石のため池周辺に「千貫おいし」の悲しい伝説があります。
「千貫おいし」の伝説はこちら
石太郎さんは、今、どんなことを貫きたいクサ?
歴史で子どもたちに夢を与えたい。今の子どもたちが大人になったとき、地域のマニアックな歴史に詳しい若者が多いまちになれば、面白くなるのではないかと思います。
板垣さんはどうクサ?
町には縄文時代から千年以上の歴史がある。そして今があります。その歴史経過を踏まえて未来をどうするかを考える。その土地の記憶を未来に残すかどうか選ぶのは今の人たちです。歴史を踏まえた上でこれからどうするかを考えることが必要でただ消えていくのは一番残念なことだと思います。
岩隈さんはどうですか?
あれ?岩隈さん?
あっ!!
どこかで私を呼ぶ声が!ちょっと行ってきますね。
----3分後----
フ〜。
私は、歴史観光に取り組んでいる他の町と比べ、金ケ崎の場合はその前段階で基盤をしっかり固めてからではないと外から来た人たちに何も発信できないと思います(汗)
(笑)
金ケ崎は住みやすさだけではない。
鎌倉とか萩のように、歴史の町並みが残っているからここに移り住みたいと思われるような町になればいいと願っています。
選ばれるまちにするための何かを一緒に見つけていけたらいい。もっとここで生きることを楽しんでいいと思います。
飲みに行くのも町の外に出なくてもここでできる。みんなが思っているよりも色々なことができるポテンシャルがこの町には秘められていると確信しています。
せっかくだから、石太郎さんにもメッセージ聞きたいクサ♪
えっ!?
よ、呼んできますね(汗)
----3分後----
お待たせしました!!(汗)
おまけ