いわて若者会議2018 いわて若者会議 若者が地域の課題解決を目指して自…
2015.9.29(火)
「いわてびと」めっけ!のコーナーでは、いわてで活躍するいわての若者や団体を紹介していきます! 「めっけ!」は、岩手県など東北地方の方言で「見つけた!」「発見!」という意味です。
第8回は、吉本興業のあなたの街に住みますプロジェクトの岩手担当として、テレビ、ラジオ、イベント等に出演しながら、多方面に活動するお笑いコンビ、アンダーエイジのお二人にお話を伺いました。
一度はいわてを離れた熊谷さんと、いわてに飛び込んできた結城さん。2つの視点を持つ、アンダーエイジさんをめっけ!
熊谷:花巻出身の熊谷由輔です、よろしくお願いします。
結城:山形県山形市久保田三丁目…
熊谷:いや(笑)住所は、個人情報なんで、やめてください(笑)
結城:結城多聞です、よろしくお願いします。
熊谷:僕は地元花巻なんですけど、正直、最初からちょっと言っちゃうと、いわてが好きじゃなかったですね。18までずっと花巻市石鳥谷町に住んでいたんですけど、すごい田舎で不便だし、買いたい服とかも売っていないし、刺激が少ない。小さい時から早く出たいと思っていました。
結城:石鳥谷だしな。
熊谷:いや俺のことイジってもいいけど、町ぐるみでイジるのやめろよー。ほんとにー(笑)
熊谷:東京に行くために大学進学という口実を使おう、というのは小学生くらいの頃から思っていました。
実家が農家で親が厳しくて、長男だったので、「就職で県外」って言うのは許してくれないだろうけれど、勉強して大学に行くっていう理由なら許してくれるだろうということで、大学にまずは行って、いわてを離れたいという作戦だったんですね。
大学では学校の先生の免許をとったりとか、内定も5箇所とったんです。でも小さいころからお笑いが好きで、興味があって、ぎりぎりになってから、自分に言い訳するのもなと思ったんですね。昔から好きだった吉本に履歴書送って、NSCってものに興味があったので入ってみた。そしたらすごい楽しくて、人生が変わった感じがしたんです。
熊谷:僕、これは止めたほうがいいというか、これのせいだって思ってるんですけど、当時の大学生って就職活動を3年から始めていて、早い人は大学4年の4月に(内々定・内定で)就職先が決まっちゃうんですよ。そうすると1年間、空いちゃうんですね。
大学4年の3月に決まって、卒業して4月から勤務だったら考える暇がないんで、働くしかないじゃないですか。でも1年間待つとなるとどうしても「本当にこの仕事でいいのかな」って考えちゃうんですよ。僕は、考えちゃった結果、「開き直って好きなことをやろう」になっちゃいました。
熊谷:結城とは大学の学生寮みたいなところで知り合っていて、友達だったので、一緒にNSCに入ろうって話を僕からしたんです。
結城:好きは好きでしたね。でも僕も同い年で就活してて、ずっとスポーツ系ということでジムの内定を貰っていて。そこは秋から研修があるところで、いままで客としてサポートされる側だったところからスタッフとしてサポートする側に変わったんですが、なんか違うな、と。
僕も同じように「これでいいのかな」と悩んでいたところに、熊谷が電話をくれたんですね。
ますます悩んだんですけど、そこにのっかる形になりました。
お笑いは好きだったんだけど、やろうとは思ってなかった。なので、感謝はしてますね。
結城:そうですね・・・中学校の時は生徒会長だったので、人前には立っていたのと、スポーツ活動もしていたので、目立つタイプではあったとは思います。
熊谷:こいつ人生のモテ期を全部使っちゃったらしいんですよ。
「4回ある」っていうんですけどギュッとまとめて一括で(笑)
結城:祖父が政治家で市長をやってて、親父も歯医者なんですけど、
PTA会長とかの役職に就きたがる人で、そういう血なのかなと思いますけどね(笑)
結城:やっぱり厳しかったですよね。親は就職決まってホッとしてたと思うんですけど、電話じゃダメだと思って実家に帰って直接言おうと思いました。(打ち明けた時の僕の)様子おかしかったと思うんですよね、その中で切り出したんですけども、絶句してましたね。言うだけ言って、反対するにしてもしようもないし止められる感じでもないので、逃げるように東京に戻って。
熊谷:許可というよりは報告みたいな感じでしたね、僕らは両方とも。僕らが特別というよりは、基本みんなもうそうなんじゃないかな。芸人になる事を「いいぞいいぞやってこい」って言う方が少ないと思うんですよ。
結城:安定してたほうがいいですからね(笑)
熊谷:絶対そう。
結城:何にも決まってなくて「俺なんにもやりたいことない」から「お笑い好きだからやってみるよ」だったらまだ推せますよね。僕たちの場合、内定決まってるんですもん・・・(笑)
熊谷:お笑いの学校で何を学んだのかってみなさん聞かれるんですけど、お笑いのことは一切教えないですよね。ほんとに。何を教わったって根性を叩きこまれたというか。人間性を変えられたと言うか。ただの軍隊でしたね。
結城:強いて言えば「理不尽」ですね。
熊谷・結城:いえ、全然(笑)。
熊谷:みんな言ってると思うんで。
熊谷:朝9時の授業で9時に来ると竹刀で叩かれて帰らされるんですよ。「先輩や師匠が来ているんだから15分前に来い」と。誰も教えてくれてないんですけど、「芸能界入ったら誰も教えてくれないよ、何丁度に来てるの」と言われて。こっちは(学費として)40万円払っているのに、授業受けられないんですよ(笑)。
でもそういう「先輩が赤と言ったら赤なんだ」って業界なのを学んだ、って感じですかね。そういう時代でした。今はちょっと変わってきてますけどね。
結城:NSCにもモンスターペアレンツが現れたりしまして、僕らの代よりもだいぶ下なんですけど、時代なんですかね。それでちょっとゆるくなったと。
熊谷:僕らの授業の時は、竹刀を手にした方もいましたからね。壮絶でした。だから入学の時は500人いたんですけど卒業の時は250人とかになるんですよね。みんな「うつ」になって辞めていくんですよ。
結城:ノイローゼになっちゃって。みんな。
結城:なんなんですかねえ…?(笑)アレ、わからないですねえ…(笑)
熊谷:多分辞めさせたいんですよ、1学年500人も抱えきれないから、辞めさせるためなんですよ。
熊谷・結城:いえ、全然(笑)。
熊谷:みんな言ってますからね。
結城:辞めさせるのも優しさですからね。
熊谷:今までの常識をひっくり返す1年なんだと思います。
熊谷:プロとしての活動が始まりますね。
結城:劇場で、月1回1分のライブからでした。
熊谷:僕らは最初渋谷でやってましたね。
熊谷:いや本当にギリギリでしたよ。震災以降でしたもん、事務所から電話がかかってきたのが。3月の終わりくらいだったと思います。「お前ら行け」って言われてから、「いざ行く」まで1週間くらいしかなかったと思うんですよね。
熊谷:ですね、いや吉本は地獄ですから(笑)
でも僕は正直、いわて出身で、史上最大規模って言われるような震災が起きて、友達やら家族やら親戚やらがみんないわてに居る中で、心配で、芸人続けてる場合じゃないんじゃないか、って芸人人生の中で初めて思ったタイミングだったんですね。芸人の仕事を休んでいわてに帰ろうかなって思っていたりもしたので、この企画はありがたいなって思いました。
結城:その時で6年目になる時だったのかな、(東京で)なんにもうまく行ってなくて。東京で成功したくて東京に出て、それでも芽が出なくて、この話来た時も「ああまた吉本がなにか企画してるわ」ってくらいでした。吉本では、あまり続かない企画も多かったりするので。
この企画の説明会で、お世話になっていてすごい尊敬している先輩が、詳しく聞きたい人は並んでねってところに並んでいるの見て。その先輩に、「なんとかなると思ってるかもしれないけど、(自分で頑張らないと)なんとかならないよ」って言われてたのを思い出しました。確かにって思って、何かきっかけになるようなことはないかってことと、震災のこともあって、じゃあ行こうと。
結城:部活の試合とかで1,2回足を踏み入れたことはあるくらいで、観光もしたことなかったし、それこそ「わんこそば」のイメージくらいでしたね。今はもう東京に行っても「ああ早くいわて帰りたい」って思うくらいにはいわて人ですね。山形よりいわてのほうが詳しいですから。
熊谷:最初は1年って言われてたんですよ。でも東京と違って地方って1年で帰ったりしたら全然根付かないじゃないですか。それも東北、いわてなんてみんな引っ込み思案で。何度も通って、顔を合わせて、1回門を開いてくれれば熱いのがいわてだって思っていて、1年じゃなんにもなんないよなって。
熊谷:住みます芸人って一番の目的は「地域に根付け」ってことなんですね。タレント活動だけじゃなく、根付く活動をすることが、タレントと住みます芸人の違いだ、ということを最初に言われて。地域で行われている祭りに参加して、「本当に住んでるんだ!」って認めてもらうというか、一緒にお祭りに参加したら仲良くなって行くことってあるじゃないですか。それでいろんな祭りに参加させていただいて、陸前高田市でも「けんか七夕」に参加させて頂いたりしたんですよ。それが撮影されていて、「先祖になる」っていう映画に、結城が見きれるっていう事件になりました。それも、めっちゃいいシーンなんです。
結城:結構盛り上がってるところで、祭りだぜ!ウワァー!ってなってるシーンを僕がやってるんですよね(笑)。目を覆いましたね・・・。
熊谷:何人かからクレームが来ましたもんね。「なんでお前らが映ってるんだよ」「めっちゃいい映画なのに泣けなかったわ」って(笑)。
でも震災以降のちょっと落ち込んでいる気持ちを払拭するのって祭りだなってほんとに思いましたね。鳥肌たちました。祭りのエネルギーって尋常じゃないな、って。
特にいわての人って普段は引っ込み思案であったりとか人見知りであったりとかして普段は我慢されてたりするんですけど、祭りの時には人が変わるんですね。僕それは「アリ」だと思っていて、祭りの時は「乾杯!」って言ってもらって仲良くなれて、受け入れてもらえましたし、「さんさ踊り」であるとか地元の「花巻まつり」で御輿を担いだり。この前は一戸の「アグドカズル」にも行ってますね。さんさの初日だったんですけど「さんさ断ってこっち来ました!」って言ったら喜んでもらえて(笑)
結城:(さんさの方には)オファー来なかっただけなんですけどね。
熊谷:祭りにもいろんな特色があるので、面白いですよね。特にいわてって広いから、市町村で特徴が全然違って。33市町村全部のお祭りを回ったりしたいですね。
結城:2年位前からですかね、国体についての周知とかが始まったのって。でもあまりにも盛り上がってないなと思ったんですね。携わってる方々は頑張っていらっしゃるんですけど、あまり浸透してないな・・・と。いわてで開催されるのなんて何十年に1回じゃないですか。せっかくだし盛り上げたいなと思ったんです。 どういう形がいいのかなって考えた時に、イベントとかは僕ら呼ばれないと出られないし、こっちから行くんだったらアスリートで行くしかない!(笑)。もともと(陸上を)やってたっていうのもありますし。
熊谷:ここまた最近10kgくらい太って、今「アスリートで行くしかない」って自分で言ってるくせに、言ってることとやってる事が全然違うんですよ(笑)僕は隣にいるのでわかるんですけど。
結城:でもこの前の試合が1ヶ月くらい前にあって、もっと前かな?そこから間隔がちょっと空いてリバウンドしちゃってますね(笑)
熊谷:ダメだよ!!(笑)
結城:-15kgまで減量して、そこから5kgくらい戻ってる感じですね。次の試合が10月にあるんですけど、そこまでにまた戻す感じですね。前回ちょっとサクっと減量できてしまって、これくらいならいけるなって自信がついちゃって(笑)。だいぶ厳しい国体出場への道程ではあるんですけど、可能性はあるので。本番は来年なんですけど、頑張りたいと思います。
熊谷:言ってることとやってることは違うんですけどね。
結城:それでも今は夜に炭水化物食べてないですから!それでも体重は増えるんですけどね…。
それに、陸上を盛り上げたいってのもあるんですよね。(自分の周りでは)日本選手権ですらあまり注目されないくらいにマイナーだったりするので。それぞれ色々な競技ごとに見応えはあるんですけど、なかなか伝わっていなくて。そういう方向でも盛り上げたいな、と思っています。
写真提供:アンダーエイジ
熊谷:僕は地元なので、いわての若い人に言いたいんですけど、東京に出たりとか、海外に出たりとか将来するかもしれないんですが、世界で一番過ごしやすい場所は地元なんですよ。絶対に、何があっても。DNA的なものから無意識的なものから、自分の感覚が根付いてるんですよ。深層心理で地元が嫌いな人っていないんですよね。僕はいわてと東京、地元と日本一の都会しか知らないんですけど、外に出た時に一番感じましたね。東京に10年住んでましたけど、田舎出身の自分からすると本当に住みづらいんです。やりたいことが東京にしかなかったのでやっていただけで。地元でやりたいことがやれるようになっている環境ってのは正直、ありがたいですね。友達はいるし、両親も目の届くところにいるし。それは恵まれた環境だなと。
食べ物も本当に合うんですよ。おかわり自由とか書いてある安い定食屋でも、米が美味しくないからおかわりする気にならないんですよね。寿司屋とかにいってもそんなに美味しいと思わなくて。高級なところに行ったらそれは美味しいと思うんですけど、沿岸で食べた海鮮丼とかにはかなわなくて。
18まで花巻に住んでいた時は、平泉にも小岩井農場にも行ったことないくらい、どこにも行ったことがなくて、あまり興味がなくて。岩手公園がどこにあるかも、石割桜がどこにあるかもわからなかったんですよね。なので、いま青春を取り戻している感じです(笑)。「めっちゃいいとこあるじゃん!」って。
熊谷:いわての若い人には、県外思考の人も居ると思うんですよ。「あまちゃん」で言うところのユイちゃんみたいな、「いわては好きじゃない、久慈は好きじゃない、東京に行きたい」っていう。そういう人は一度東京に行ってみたらわかると思います。自分に流れているいわての血みたいなのが。「近くにいるから見えない景色」ってあるんです。近くにいるとわからないんだけど、遠くに離れると「ああ、めっちゃいいとこ」って分かるんです。
結城:「優しい」ですよね。僕みたいないわて出身じゃない人も暖かく迎え入れてくれる環境がある。僕はいわての偉人が結構好きで、九戸政実とか石川啄木とか。そういう面白い人がいっぱいいるので、自分の知らない「人」にミリョクがあるなと思っています。
熊谷:安定を求める自分と刺激を求める自分がいると思うんですけど、やりたいことがあって、今までは東京に行かなければならなかったんですけど、今はいわてにいながらお笑いでも、漫画でも、アイドルでも、色々なことが出来る時代で、もっともっと視野を広げて、恥ずかしいとか世間体とか気にしないで。一度やってみて、ということですかね。
向いていなかったら安定した仕事に就けばいいので、一度はチャレンジしてみてもいいんじゃないかなと思います。
結城:帰ってきてホッとするような、かわらない街を維持していってほしいなと思います。いわては君たちが思っている以上に奥深いから、それを知ればもっともっといわてのことが好きになると思います。一緒にいわての事を知っていきましょう、という感じですね。
地元を離れて初めて見えるもの、外から見ないと気づかないもの
アンダーエイジさんの熱いメッセージ受け取っていただけましたでしょうか?
次回もいわてで活躍する方を引き続き取材していきます。 お楽しみに!!
◇アンダーエイジさんの紹介ムービーを公開!
https://www.youtube.com/watch?v=nM_p-F8fJzE
アンダーエイジ熊谷の「こんな声に誰がした」
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