高橋 典子(たかはし のりこ)
漁師
プロフィール:花巻市大迫町出身。1992年生まれ。山形大学卒業後、2014年に岩手県庁入庁。4年間勤務した後、退職し、大船渡市の水産会社マルカツ水産に入社。昨年1年間経験を積み、今年5月から漁師として1人で船に乗り、主にアナゴ漁に取り組んでいる。
何か新しいことをはじめている人、何かを発信している人。そういった人の多くは、何かしら自分なりの「哲学」を持っているように思えます。「自分が大切にしたい哲学」を考え、見つけることは、新しいことを始めるときの手がかりになるのではないでしょうか。「いわてつがく」は、そんな思いのもと、さまざまなフィールドで活躍する人たちの「哲学」を紐解いていく連載です。
軽トラックに乗って漁港を走れば、顔見知りの漁師仲間から、あいさつ代わりのクラクションが鳴る。元岩手県職員の高橋典子さんは、大船渡市綾里地区の人々と、漁師の仕事の魅力にみせられ転職。自然相手の厳しい世界で、たくましく、しなやかに挑戦を続けています。
色んな種類の漁師の仕事を見たことが就職活動に
-移住するまでの大船渡市や綾里地区との関わりを教えて下さい。
前職の県職員1年目に、大船渡市内にある沿岸広域振興局・大船渡地域振興センターに配属されました。私は内陸出身なので、この時に初めて沿岸で生活しました。大船渡地域振興センターの地域振興課で、広報の仕事を担当したほか、観光振興やNPO法人の承認や補助金関係の仕事、復興推進課でも働きました。そのときは漁業とは全く関わりのない仕事をしていました。初任地の大船渡市から在職4年目で、本庁のものづくり自動車産業振興室に異動になりました。大船渡勤務の際に観光担当だった職員から「今度綾里地区でイベントがある」と教えてもらい、週末だったので参加しました。漁師さんが漁業の魅力や浜の文化を伝える「浜の学び舎」というイベントで初めて綾里に来て、それ以来、すっかりはまりました。
-どういうところに魅力を感じたのでしょう?
元々、大船渡市に住んでいたときから、浜には興味がありました。漁業のことも浜の文化のことも全然知らなかったのですが、昼間漁港に行っても誰もいないし、漁師さんっていつ仕事をしているんだろうと、不思議に思っていました。そんな時にちょうど「浜の学び舎」のイベントがあって、行ってみたら漁師さんのお話がとても面白かったんです。その時の漁師さんたちが綾里の人たちで、月1回だったこのイベントに通うようになり、そのほかにも土日になれば綾里に通って、色んな浜の仕事を体験させてもらうようになりました。
それまで特別海が好きというわけではなかったのですが、漁師さんたちの仕事が好きになりました。ダイビングのライセンスも取り、海に潜ったりもしました。ただそれ以上に、漁師さんの仕事や作業の方が楽しくて。ホタテやワカメの養殖作業を手伝ったり、定置網の船にも乗せてもらったりして、努力が獲物として返ってくる漁師の仕事っていいなと思いました。色んな種類の漁師の仕事を見せてもらって、その時は漁師を目指していたわけではなかったけど、今思えばこれが就職活動みたいな感じでした。
ずっと変わらないのは、地域が好きという気持ち
-県職員から漁師になろうと決めたのは、どういう思いからでしょう。
岩手県庁の職員も、大学生の時に第一志望で合格して、なりたくてなった職業でした。私の中学生の時の夢は、旧大迫町の役場で働くことでしたが、高校・大学に入って視野が広がり、岩手県庁の職員になりました。岩手や自分の住んでいるところ、地域が好きで公務員になりました。同じように、綾里へ来たのも、綾里という地域が好きで、こっちでずっと生活したいなと思ったからです。だから、仕事の内容は違いますが、目的は変わっていないんです。県庁で働こうが、綾里で働こうが、地域が好きで、そこで生活したいという思いは同じです。
-仕事を辞めることに、迷いはなかったのでしょうか?
私が岩手県庁を辞めたのは25歳の時ですが、25歳になった時に「時間が無いな」と思ったんです。仮に普通に生活して、結婚して子育てしながら、そのまま仕事を続けていけば、ある程度役職や階級も上がっていくかもしれないけど、浜に通い続けることはさすがに難しくなるんじゃないかと気付いて、「これは時間が無いぞ!」と思ったんです。だから、自分の体力が衰えないうちに、漁師の仕事に挑戦したいと思って、むしろ急いで辞めました。一番体力があるときに、やりたいことをやっておこうと思ったのが大きいです。
操業を任されている第十八新栄丸。毎朝、日の出と共に海に向かう。
-綾里のどういうところが好きですか?
これは古里の大迫でもそうですが、人と人との距離感が近いことです。あとは、私の感覚ですが、綾里は他の地域よりも漁師が多くて、若い人も多い。地域の規模の割に、取り組んでいる漁業の種類も多いんです。養殖はワカメやホタテ、ホヤがあり、サンマ船のように一日では帰ってこない「沖乗り」と呼ばれる船が何隻もあったり。定置網もあるし、今私がやっている「小型漁船漁業」も盛んで、栄えている方の漁師町だと思います。そういう意味では、この狭い地域の中に、何でもあるなと思いました。そういう綾里が好きです。
アナゴは仕掛けたわなで捕まえ、ある程度まとまったら大船渡魚市場に出荷する。
-今はどういう立場で漁業に取り組んでいるのでしょう?
マルカツ水産の従業員です。19㌧の船での漁がメインの会社ですが、私は2.5㌧の小型船の操業を任されています。昨年までは、ベテランの漁師さんにお願いして、船の扱い方などを教わりました。19㌧の船にも乗って、2~3日沖に出て帰ってくる「沖乗り」も経験しました。厳しいけど、船の仕事自体は楽しいです。延縄漁やイサダ、サンマ漁に行ったのですが、沖に出るのは雰囲気も違うし、魚が獲れれば全てよしで楽しいです。その後から、1人で小型船を操縦して漁に出るようになったのですが、沖乗りを経験させてもらって根性がついたと思います。
普通、女で、しかも漁師になって1年も経っていないような人に、「1人でやってみろ」と言ってくれる人はいないと思うので、社長はすごいと思います。私はすごく環境に恵まれたと思っています。その分、要求されるレベルも高いので、まだまだ頑張らないといけないと思っています。
-高橋さんのように漁業に挑戦したい人や興味がある人のために、どういったことが必要だと感じますか?
最近、官民で漁業者を育成する「水産アカデミー」の取組も始まりましたが、漁業に興味を持った人や、漁業をやりたい人が入って来られる可能性を広げる仕組みをもっと考える必要があると思います。
農業は、本屋さんに行けば、畑の作り方や花の育て方などたくさんの本が置いてあります。でも、漁師には教科書がありません。魚の捕り方や漁の仕方を教えてくれるような本は、本屋さんにはほとんどないんです。漁業は人に聞くしか学ぶ方法がない。それに、漁にしても養殖にしても、まずその浜のコミュニティーに入っていくことが必要です。これは家族や親戚が漁業をやっている人でないと、とても難しいことです。だから、全く漁業者とつながりがない人が漁業に参入するには、壁がとても高いと思います。その壁を少しでも低くするには、現場に合った仕組みが必要だと感じています。
船の係留や水揚げなど、漁師の仕事は体力勝負。「魚が釣れたときが一番楽しい」とやりがいを感じている。
やらなきゃいけないと思うことを見つけたら、挑戦できる人間でいたい
-最後に、新しいことに挑戦しようとしている岩手の若者へメッセージをお願いします。
中学生や高校生が進路希望調査票に書くように、なりたい職業って公務員や銀行員、自分の親の仕事など、知っている職業しか選択肢にないと思うんです。それは大人になっても同じようなことが言えると思います。基本的には、自分が関わっている世界しか知らないと思います。だから、県庁の仕事も好きで続けていましたが、もし今の仕事以上にやりたいことを見つけたら、そっちに行こうというのは大学生の時から決めていました。
こだわって一生その仕事を続けることもとても重要だと思うけど、仮にそれ以上にやらなきゃいけないと思うことを見つけたら、その時に挑戦できるような人間でいようと決めていたので、漁師をやろうと思った時も迷いはありませんでした。なので、メッセージとしては、自分が面白いとか、やりたいと思ったことを見つけたら、迷わず、どんどんやってみた方がいいと思います。仕事だって新しい職種もどんどん生まれるし、前向きな転職なら積極的にしてみたらいいと思います。