田山 貴紘(たやま たかひろ)
南部鉄器職人、南部鉄器製造販売「タヤマスタジオ」代表取締役
プロフィール:盛岡市出身。1983年生まれ。埼玉大学大学院を修了後、自然食品などを扱う食品メーカーに就職。2012年にUターンし、父で「現代の名工」にも選ばれた南部鉄器職人の田山和康さんに師事。2013年にタヤマスタジオ株式会社を設立。2017年には南部鉄器の新ブランド「kanakeno(かなけの)」、2019年には盛岡市内に飲食店「お茶とてつびんengawa(えんがわ)」をオープン。
何か新しいことをはじめている人、何かを発信している人。そういった人の多くは、何かしら自分なりの「哲学」を持っているように思えます。「自分が大切にしたい哲学」を考え、見つけることは、新しいことを始めるときの手がかりになるのではないでしょうか。「いわてつがく」は、そんな思いのもと、さまざまなフィールドで活躍する人たちの「哲学」を紐解いていく連載です。
南部鉄器の製造・販売「タヤマスタジオ」の代表取締役を務める田山貴紘さん。南部鉄器職人でありながら、営業マンだった経験を生かして会社を設立。生活を彩る南部鉄器の新たな魅力を発信しようと、若い人でも手に取りやすい商品開発やカフェ経営、市民講座の開催を通じ、伝統工芸の世界で新たなチャレンジを続けています。
自分の立ち位置からできることってたくさんある
-田山さんが盛岡へUターンした経緯を教えてください。
岩手に帰ってきたのは、2012年末です。大学院を修了してから、自然食品などを扱うメーカーの営業として6年半ほど働き、20代前半は仕事に明け暮れていましたが、後半になって少しずつ価値観が変わって来ました。2008年にリーマン・ショックが、2011年に東日本大震災津波が起きて、世の中の考え方も少しずつ変わってきた頃でした。特に震災は大きなきっかけになりました。気仙沼や陸前高田でがれき撤去のボランティアに参加しましたが、仕事であまり来られなかったこともあり、自分にしかできないことで、地元のためにできることは何か、考えるようになりました。
東京に住んでみて、地元の良さに気付けたということもあります。東京で雑貨屋に入ったりすると、南部鉄器が売っていたりして。それで、ふと地元に目を向けた時に、父のいる南部鉄器業界も後継者不足という課題を抱えていました。そうした課題に気付いた上で、自分には、職人として技術がある父がいて、工房があってという環境があることに改めて気がついたんです。直接的な震災への支援という形ではなくても、こういう環境の自分にしかできないことで、少しでも雇用が発生するとか、南部鉄器の価値観が世界に発信されて、一人でも多くの人が岩手に来てくれるとか、自分の立ち位置からできることってたくさんあるなと思って。それで岩手に帰る決断をしました。
-全く違った世界からの転職ですが、営業の経験はどう生きていますか?
南部鉄器業界は、職人として物を作ることが得意な人は多いですが、販売や営業的な部分がちょっと欠落、不足しているように思います。幸いにして、父が長年職人として働いており技術的な部分を持っていて、僕自身は前職で学んだ営業のノウハウがあったので、そこが組み合わさったら楽しいだろうな、と考えました。技術的な部分と、営業的な部分、両方が必要です。父は今も個人事業主としてやっていて、僕は自分で会社を作りましたが、向き合うのではなく、同じ方向を見なきゃいけないと思っています。相手を納得させるとか、相手の立場になって行動するということは、営業マン時代にとても苦労し学んだことなので、その経験はすごく生きています。
-タヤマスタジオでは10代の職人さんも働いていますが、技術を教える際に大切にしていることはありますか?
南部鉄器の制作には大体100工程ほどあるといわれていますが、ここではそのほぼ全工程をやっています。鉄を溶かす作業だけは外部でやっていますが、それ以外は全部ここです。これまで職人の世界は1人前になるまで10年掛かると言われてきましたが、今はそれだと商売として成り立ちません。なので、最短距離で技術を習得できる方法を、僕自身が父の下で修行しながら実験しました。修行した2年間の経験を踏まえ、技術を習得するまでの一連のステップを設計し、父の技術をしっかりと言語にして伝える、ということを大切にしているので、指導に関しては業界の中でも特に優れているのではないかと思っています。
作業に集中する「タヤマスタジオ」最年少の19歳の職人
鉄瓶が人生の一部をちょっとだけ豊かにする。
-多様なメンバーとタッグを組んで南部鉄器の新ブランド「kanakeno」を立ち上げたり、市民講座「てつびんの学校」を開いたり、発信にも力を入れていますが。
鉄瓶は、昔は暮らしの中に当たり前にあった道具だと思いますが、今僕らはそういう風には捉えていません。鉄瓶が、人生の一部をちょっとだけ豊かにするとか、忙しく生活していても、鉄瓶を使っている間だけはゆったりとした時間が流れるとか、そういうものだと思っています。「kanakeno」の取り組みや「てつびんの学校」を通じて、そうした鉄瓶に対する捉え方を伝えたいと思っています。
「kanakeno」が2017年に初めて販売した製品「みぞれあられ」。南部鉄器の伝統である「あられ」模様がランダムに施されている
-「engawa(えんがわ)」という飲食店をオープンしたのにはどういう意図があったのでしょう。
鉄瓶を使ってもらいたい気持ちはあるんですが、今は購入した後じゃないと、なかなか使うという体験ができません。ただ、いきなり購入するのは、とてもハードルが高いし、でも使ってもらわないと良さが分からない。そういう意味で、気軽に触れてもらうとか、湧かしたお湯を飲んで体験してもらうとか、そういう場所が必要だと思いました。飲食店という形態だと、鉄瓶に対する敷居もちょっと下げられるかなと。カフェに入って、より鉄瓶のことを知りたいと思ったら、奥のショップでスタッフに色々聞いてもらえる。そういう環境を作ろうと思い、今の形態になりました。
「engawa」のショップスペース。スタッフから気軽に話を聞くことができる
-田山さんが思う南部鉄器の魅力はなんでしょう?
時代の流れとして、鉄器は錆びるから面倒だとか、重いとか考えられて、ステンレスのように軽くて手入れが簡単な物が出てきました。ですが、錆びる原因を取り除いてしまうと、鉄分も摂取できないし、お湯がまろやかになることもありません。鉄瓶の特性として、多少は錆びるということを許容すれば、鉄分も摂取できるし、お湯もまろやかになり、良い面も享受できます。これには色々考えさせられます。人間もそれぞれに長所短所があって、たぶん短所を否定すると、長所も消えるんだと思います。南部鉄器はモノとしてそういうことを教えてくれるので、すごく勉強になります。
「engawa」のカフェスペース。水の代わりに南部鉄瓶で沸かした白湯を提供する
遺産じゃなくて、資産にしていく。
-これからやってみたいことはありますか?
これは完全に個人的な願望ですが、例えば中津川沿いに雰囲気のいい宿泊施設があったらいいなとか、盛岡の街中に開かれた形で南部鉄器の工房があって、着色している漆のにおいがしたり、鉄器を削る音が聞こえたりする場所があったらいいなと思います。博物館とか、世界遺産という形ではなくて、岩手が育んできた資産が、生きている形でまちにあって、さらには自分たちも楽しめるような場所があったらいいなと。今あるものを「遺産」にするんじゃなくて「資産」として活用していくことが大事だなと思っています。
仕上げ作業を行う職人の手。手作りだからこそ機械にはできない繊細な表現が可能になる
成功しようと思うより、どれだけ失敗するかを目標にする
-最後に、新しいことに挑戦しようとしている岩手の若者へメッセ―ジをお願いします。
成功しようと思うより、どれだけ失敗するか、ということを目標にした方が、新しいことにチャレンジしやすいと思います。チャレンジするって、怖かったり、勇気がいりますが、若いうちは失敗してもある程度カバーできます。例えば、若いうちに10億円の借金を抱える、なんていうことはあまり現実的ではありません。だから、そんなに大きな失敗は、実はしようと思ってもできません。失敗しないと前に進めないことはたくさんあるし、誰でも成功したくてチャレンジすると思いますが、成功を目標に置くと、途中でしんどくなる。「10個失敗する」とか、失敗を指標に置くことで、一歩前に踏み出しやすくなるのではないかなと思います。