佐藤 ひろの(さとう ひろの)
郷土芸能を担う若者有志団体「100年先へ、プロジェクト」代表/「本寺地区神楽」代表
プロフィール:
一関市厳美町出身。1986年生まれ。北海道教育大学を卒業後、北海道内の企業で4年半の勤務を経て、祖母の介護のため帰郷。現在は一関市内の企業に務めながら「100年先へ、プロジェクト」と「本寺地区神楽」の両代表として活動している。
何か新しいことを初めている人、何かを発信している人。そういった人の多くは、何かしら自分なりの「哲学」を持っているように思えます。「自分が大切にしたい哲学」を考え、見つけることは、新しいことを始めるときの手がかりになるのではないでしょうか。「いわてつがく」は、そんな思いのもと、さまざまなフィールドで活躍する人たちの「哲学」を紐解いていく連載です。
数多くの伝統芸能団体が存在し、「民俗芸能の宝庫」と言われる岩手県。しかし、高齢化で年々担い手不足が深刻化しています。そんな中、「100年先へ、プロジェクト」代表の佐藤ひろのさんは、伝統芸能の未来を担う若者同士が連携し、継承や保存へ向け共に活動する基盤を作ろうと奮闘しています。
太鼓の音色を聞いた瞬間「やっぱり神楽をやりたい」と思った
-伝統芸能に興味を持ったのはいつ頃ですか?
一関市厳美町にあった母校の本寺中学校では、全校生徒で地域の伝統芸能である神楽に取り組んでいました。学校独自に踊り継がれてきた神楽は「本寺中神楽」と呼ばれ、私の4つ上の姉や2つ上の兄も、中学に入ってから踊っていました。それを見て小さい頃から、かっこいいなと思っていました。自分も中学入学と同時に始め、3年間みっちりと練習しました。
-大人になってからもずっと続けていたのですか?
中学を卒業してからは、しばらく機会がありませんでしたが、2つ下の妹が中学生だった時は、練習を見に行っていました。その後はまたしばらく機会がなかったのですが、大学進学後に教育実習で母校の本寺中学校を訪れた際、中学生の練習に混ぜてもらう形で約5年ぶりに神楽を踊りました。ちょうど地域の運動会の時期だったこともあり、運動会で教え子たちと一緒に神楽を披露しました。ブランクはありましたが、やってみると意外にも自然に踊ることができました。社会人になってからは、またしばらく神楽はお休みしていましたが、祖母の介護を機に地元に帰郷してすぐ、地域のイベントで中学生が神楽を披露する場面があり、そこで太鼓の音色を聞いた瞬間「やっぱり神楽をやりたい」と思いました。神楽を見るのも久しぶりだったので、うれしさのあまり夢中で動画を撮っていました。それからまた中学生の練習に参加させてもらう形で、本格的に神楽を始めました。最初は体力が無く体がついていきませんでしたが、練習を重ねるうちに勘が戻ってきたように思います。私がもう一度神楽を始めたことを、家族もとても喜んでくれました。
母校の閉校を前に、今できることをしたかった
-本寺中学校が閉校する2017年に「本寺中卒業生による鶏舞を愛する会」を結成していますが、どのような思いがあったのでしょうか?
7月に結成した時には、まだ地域に学校があったので、今できることをやろうという思いがありました。「本寺中神楽」として神楽を披露するのは最後になってしまうからこそ、記憶や思い出に残ることをやりたいと思いました。たくさんのイベントに出たり、神楽で使う道具を作るワークショップをやったり、写真展も企画しました。活動が地域の人に喜んでもらえたことが、とても嬉しかったです。
学校がなくなった今、地域と子どもたちをつなぐきっかけに
-現在はどのような活動をしていますか?
「本寺中卒業生による鶏舞を愛する会」の後継団体である「本寺地区神楽」の代表として活動しています。「愛する会」は本寺中学校が閉校する年のみの活動だったので、その活動を受け継ぐ団体を結成しました。昔は本寺地区には3地区それぞれに神楽がありましたが、どこも高齢化が進み、今は活動できていない状態です。そこで、元々あった3地区の振りや踊りをミックスした「本寺中神楽」を継承することで、それぞれの地域の思いを、踊りに乗せられたらと思っています。地域に学校が無くなってしまったので、神楽が地域と子どもたちをつなぐきっかけになるといいなとも考えています。
共演するだけでなく、思いを共有する場が必要
-郷土芸能を担う若者団体「100年先へ、プロジェクト」の代表も務めていますが、こちらを設立したのはどんな経緯からでしょうか?
伝統芸能というと、後継者不足とか人出不足とか、ネガティブな話題で取り上げられることが多いですが、実際は元気に活動している人たちがいるということを知ってほしいと思ったからです。現在は県南地域の神楽や鹿踊りなど8団体が所属しています。伝統芸能の活動をしている人たちが、実際どういう活動をしていて、どういう思いを持っているのか伝える場所が必要だと、以前から感じていました。これまでイベントなどで他の団体と共演する場はありましたが、思いを語り合えるような場はありませんでした。そこで、プロジェクトの仲間たちと、2月に「GEINOど真ん中ミーティング」というイベントを企画しました。お互いの芸能を披露し合うだけでなく、会場に来たお客さんに参加してもらう形で「語り場&アクション」という相互交流の場を設けました。実際にやってみると、出演者だけでなく、お客さんとして来た人たちそれぞれの芸能に対する思いが聞けて、とても刺激になりました。
-今後、「100年先へ、プロジェクト」としてやってみたいことはありますか?
イベントという形になるのかは、まだ分かりませんが、全県的に伝統芸能の人たちが集まって語り合えるような、そういう組織としてやっていければいいなと思っています。「語り場&アクション」の様に、伝統芸能に関わる人たちが双方向で交流するというのが、とても面白い取り組みだったので、県南だけでなく他の地域でもやってみたいです。ゆくゆくは、今伝統芸能に関わっている人や興味がある人が、「100年先へ、プロジェクト」に関われば、何か新しいことに出合えたり、知り合いが増えたりする、そんな存在になれたらいいなと思っています。団体の垣根を越えてつながっていくような組織や活動になっていければと思います。
-最後に、これから新しいことに挑戦したいと考えている岩手の若者にメッセージをお願いします。
これまでの自分の活動を振り返ってみると、やったことのないことをたくさんやってきたので、新しいことを始める時は、不安を持ったままでいいので、やりたいと思ったことを、口に出して言ってみるといいと思います。口に出すことで、1人じゃなくなるし、いろんな人が関わってくれるようになると思います。ぜひ好きなことや、やりたいことを、どんどん口に出して欲しいと思います。