いわて若者会議2018 いわて若者会議 若者が地域の課題解決を目指して自…
2017.6.23(金)
いわてで活躍するいわての若者や団体を紹介する「いわてびと」めっけ!
※「めっける!めっけだ!」は、岩手県など東北地方の方言で「見つけた!」「発見!」という意味。
第30回は、「いしがきミュージックフェスティバル」運営副委員長で「盛岡クラブチェンジ」代表の黒沼亮介(41)さんをめっけ!
第30回 黒沼亮介さん
黒沼亮介
1975年盛岡市生まれ。盛岡クラブチェンジ代表。いしがきミュージックフェステイバル運営副委員長。
クラブチェンジ
2002年12月31日創立。ライブハウスの運営や音楽イベントの開催など、岩手の音楽シーンを盛り上げる。
いしがきミュージックフェスティバル
今年で11年目を迎える音楽フェス。2016年は盛岡市の盛岡城跡公園をメーンに10のステージで繰り広げられた。中心市街地の活性化を目指しており、入場は無料。
コネックサ!
お会いできて光栄クサ!いしがきミュージックフェスティバル、毎年楽しみにしてるクサ~
ありがとう!
運営副委員長の黒沼です。よろしく。
よろしクサ~
黒沼さんが代表の盛岡クラブチェンジは、盛岡に初めてライブハウスをつくったクサ!
詳しいですね。(笑)
そう、もともと自分がバンドをやっていたのですが、盛岡にライブハウスがないから、ツアーファイナルを地元でできない。
「じゃあ自分でつくろうかな」と思ったのがスタートです。
起業クサね。
カッコいいクサ!
いえ。そんなことはありません。
若い人たちに言いたい。
起業は、やめておきなさい!!!
……え?
半分冗談です。(笑)
…残りの半分は?
もちろん半分本気です。
というのも、企業はやっぱり、大変なんですよ。相当な覚悟と志が必要です。
そこをクリアできたなら、大丈夫だと思いますよ。
なるほどクサ。
…ここまで来るのは、大変だったクサね。
そもそも、盛岡にライブハウスがないということは、お手本とすべき前例がないということです。
だから前途多難なのは当然。
前例がないから市場調査もできないし、相談できる同業者もいないわけですから。
苦労も多かったクサね…
人手不足で音響を一週間で自分で覚えたり、とにかく大変で。
新しい何かを始めるときに、地方には大きな壁があるんだなと感じました。
軌道に乗り始めたのはいつごろクサ?
クラブチェンジ自体は、開始半年くらいはほとんど反響がありませんでした。
半年後くらいから少しずつ認知されていって、ライブに使ってもらえるようになりました。
でも、今は盛岡市内で三つのライブハウスを運営しているクサ。
県外のアーティストさんに使ってもらえるようになって、そういう規模の大きなライブには、より大人数を呼び込めるライブハウスが必要になりました。
音響をもっと高性能にして、大人数を収容できるようにライブハウスを増やしました。
どんどん規模が拡大しているクサね。
つらい時期を乗り越えられたモチベーションは何だったクサ?
ライブハウスを使ってくれるバンドの子たち、それからお客さんの存在に尽きますね。
あとはもう、必死です。
必死クサ?
そうです。
もう「はじめちゃったしやるしかないぞ!!!」って。(笑)
本当、前例がないって壮絶なんです。
そんな壮絶な中でいしがきミュージックフェスティバルにも着手したクサ???
あー、それはですね…
全然別の仕事で、20、30、50代の3人が出会いまして。
ふむふむ。
そこで、3人が小学校、中学校の先輩後輩同士だと判明したんです。
それで、妙に意気投合しました。
「最近、盛岡に活気がないね。どうにか中心市街を地活性化させたいね」という話から、始まったイベントです。
入場は無料。すごいクサ。
2年間は有料でしたよ。
でも、中心市街地活性化を目指しているのに、音楽ファンしか集まらないという事態に直面しました。
本来の目的のために無料にしたクサね。
そうですね。
でも、これもまた大変で。
町の一角を使ってイベントをするってとても手間がかかります。
いろんな立場、いろんな考えの人たちを、いろんな方法で説得していきました。
苦労もありながら、いしがきミュージックフェスティバルが11年目を迎えられた大きな要因はなんだと思うクサ?
その3人のハートが強いことでしょうか。
中心の人間が心折れずに、思い描いた盛岡を実現させようと、ずっとブレずに進み続けたからだと思います。
今は少子高齢化とか地方消滅とか言われていますが、魅力的な場所であれば、地方であっても消滅なんかしないんですよ。
岩手には結構偉人も居て、その良い人材を育てるのは、この気候や風土、学問だと思います。
岩手の気候や風土、コネックも大好きクサ。
若い頃は都会が良くても、ある程度年をとると、この岩手の気候や風土がすごく良いものだって気がつきます。
でも、岩手に帰りたくても仕事は多くない。
そんな状態を見て、岩手を元気にしたいと思っていましたし、今でも思っています。
いしがきミュージックフェスもクラブチェンジも、地域社会にうるおいをもたらせるような存在でありたいです。
それがずっと目標クサね。
それから、音楽を愛する若い子と触れ合う時間が多い自分は、上の世代と下の世代をつなぐ役割を果たしたい。
大人になるとみんないろいろ忘れて「最近の若い者は」とか言い出しますが、若い子たちは話してみるとすごく良いやつです。
子どもたち、若い世代に「明るい未来」を見せてあげたいです。