2016.12.7(水)

タイトル「いわてびと」

〜 番外編その7 盛岡に新しい価値を生み出す-「盛岡さんぽ」著者/「株式会社モリノバ」 代表取締役 浅野聡子さん 〜

    

いわてで活躍するいわての若者や団体を紹介する「いわてびと」めっけ!

※「めっける!めっけだ!」は、岩手県など東北地方の方言で「見つけた!」「発見!」という意味。

番外編では、いつものコネックさんではなく、岩手県庁の若手職員が若者を取材しています!
第7弾となる今回は「盛岡さんぽ」の著者で「株式会社モリノバ」の代表取締役を務める、浅野聡子さんをめっけ!

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神戸市出身のウェブデザイナー浅野聡子(あさの あきこ)さんは、2012年にご主人の転勤を機に盛岡に居住します。観光パンフレットには載っていないような、地元の人が普段から愛用するお店や場所を、親近感の沸く文章と魅力的な写真で紹介したブログ「盛岡さんぽ」が話題となり、2014年には書籍化。さらに、発信だけに留まらず「まちに無いものは自分で作る!」とまちづくり会社「株式会社モリノバ(MORINOVA)」を立ち上げます。人と人が繋がり、創造が生まれる場所作りを目指し、盛岡に新たな価値を生み出そうとしています。

 

1.原点は「ものづくり」の楽しさ
-盛岡女子に人気の「盛岡さんぽ」。なぜ、神戸市出身の浅野さんが盛岡の魅力を発信するに至ったのか。浅野さんの経歴は意外なものでした。

浅野:東京の大学に通っていたのですが、大学では英文科を専攻していました。チアリーダーの副部長で部活に明け暮れていたので、学生時代はデザインの勉強はしていません。ただ、小さい頃から、絵本を作ったり、スクラップブックを作ったり、ものを作ることが好きでした。

大学卒業後は、そのまま東京で就職し、百貨店のジュエリーサロンなどで接客業をしていました。接客はすごく好きだったのですが、同じことを繰り返していても、あまり先がないなと感じるようになり、結婚を機に、当時の会社を退職。夫からは「好きな仕事をしていいよ」と言われたので(笑)、自分の結婚式のパンフレットを制作した経験がとても楽しかったことを思い出し、せっかくならものを作る仕事がしたいなと思い、紙媒体をメインにしたデザイン会社にまずはアルバイトとして就職しました。ものを作る仕事はとても楽しく、天職だと思いました。デザインの技術や知識は、中古でパソコンを買って、本を見ながら独学で身につけました。その頃、紙媒体からウェブ媒体への転換期だったこともあり、当時の会社でもウェブ制作の仕事を請け負っていました。そこで、ウェブ制作の仕事をやってみたら紙媒体よりも楽しくて。それからはウェブ制作の仕事をしています。

夫の転勤に合わせて、東京や大阪のウェブ制作会社で働いていたのですが、2012年に盛岡への転勤が決まります。盛岡への転勤は予想外。「そもそも盛岡って何県!?」というところから始まり、とりあえず長靴やダウンなどを買って、雪国対策をして、盛岡に来ました。

2012年の2月、盛岡に初めて来た日は快晴で、高松の池の白銀の世界を白鳥が飛んでいて、都会ではありえないその景色に涙が出るくらい感動しました。寒いのが嫌だったはずなのに(笑)、盛岡の生活が俄然楽しくなって、旅行気分で盛岡を開拓していきました。でも、最初は、友達もいなくてどこに行けばいいのかわからなかったですね。観光パンフレットにはわんこそばや冷麺は載っているのだけど、地元の人で人気のカフェやレストランがどこにあるのかわからなかった。そんな時に、仲良くなった地元の女性が、自分がおすすめするお店を紙に書いてくれて、私にはそれが宝物でした。

盛岡のいいところは、例えば、今朝採れた野菜が、その日のレストランのメニューに出くるところや、窓の外がりんご園で、その景色を見ながらりんごジュースを飲むことができること。それは、盛岡の人にとっては当たり前かもしれないけれど、都会の人にとってはとんでもなく贅沢なこと。とにかく盛岡で暮らすことが楽しかったです。

427144_340957355957175_981943976_n(写真提供:浅野聡子さん)

2.「盛岡さんぽ」誕生!
-盛岡生活を満喫していた浅野さん。ところが、突然ご主人の転勤が早まり、予定よりも短い2年間で盛岡を離れ、東京に戻ることになってしまいます。

浅野:そのときは「まだ帰りたくない!」と思いました。戻ってからも盛岡と繋がりを持っていたくて、東京に戻ってからウェブ制作の会社を立ち上げ、事務所を東京と盛岡の2箇所に置きました。もともと、盛岡を紹介するサイトを作りたいという漠然とした思いがあったのですが、盛岡を急遽離れることになったことで、大慌てで形にすることになりました。盛岡を離れる3ヶ月前のことです。これが「盛岡さんぽ」です。

盛岡に来たばかりの頃、友人がくれたおすすめ店のリストがあったから盛岡を楽しむことができた。私はウェブ制作の仕事をしているから、これと同じことがウェブでできるのではないかと思いました。「盛岡さんぽ」に掲載されているのは、普段から私が愛用するお店や場所です。自分が楽しいと思った盛岡を記録として残して、盛岡に住んでいる人、盛岡に来た人、盛岡を知らない都会に住んでいる人などに向けて発信したものです。文章も写真も素人っぽいところがありますが、そこに親近感を感じてもらっているのかもしれません。友達からおすすめの話を聞いている感覚に近いのかも。

ブログを作ってから半年ほど経ったころ、いろいろな人から「本にはしないのか」と言われるようになりました。趣味で運営しているものなので「ありえない」と思いましたが、あまりにも多くの人に言われたので、知り合いのある書店の方に「売れると思いますか。」と聞いてみたところ、「売れると思います。うちが買います。」と即答されて、本気で考えるようになったんです。具体的に検討する中で、出版社を通すことも考えたのですが、メリットを検討したうえ、自費出版で作ることにしました。

ウェブをやっているから本も簡単に作れるだろうと思われがちですが、ウェブと本では全くセオリーが違うので、一から勉強しながらの作成でした。書籍用のアプリをインストールし、写真を撮り直したり、文章を書き直したり、お店に校正を出したりして、約1ヶ月間集中して制作しました。初版として2,000冊を作成し、試しに「いわてデザインデイ」の会場で販売したところ、1日で300冊売れました。これは「いけるかもしれない」と思い、レンタカーを借りて地元の本屋さんを回って営業してみると、5日間で私の手元から無くなりました。全部売り切らないと制作費の元がとれなかったので、ほっとしていたところに、今度は「買えなかった」と言われることが多くなり、結局3,000冊を増刷しました。おかげさまで、その後1年半で、出版した5,000冊全てが無くなりました。

10542805_614248202030888_6916342447147779719_o(写真提供:浅野聡子さん)

-盛岡の魅力とは?

浅野:盛岡は、都会と比べれば無いものもたくさんありますが、反対に盛岡にしか無いものもたくさんあります。生活しやすい規模で、人として等身大の生活ができる、それを本能的に感じるから、住みやすいって思うのかな。よくある言葉だけど、それが「ちょうどいい」ということなのだと思います。

だけど、「盛岡さんぽ」を通して、初めて「まち」という概念で考えるようになっていく中で、「足りないもの」も見えてきた。「こんなものが盛岡にもあったらいいな」と思ったとき、それは自分でも作れるのではないかと思いました。それから「まちづくり」について考えるようになりました。

3.「まち」にないものは自分で作る!
-「盛岡さんぽ」を通して見えてきた「まちの課題」。浅野さんは「盛岡さんぽ」の情報発信力と持ち前の行動力でどんどん形にしていきます。

浅野:本業のウェブサイト制作は、岩手のお客さん半分、東京のお客さんが半分なのですが、岩手のお客さんは「ホームページやパンフレットを作りたいと思っていたが誰に頼めばいいのかわからなかった」とおっしゃる方が多いです。もちろん岩手にも制作会社さん、個人のデザイナーさんなどはいらっしゃるのですが、もしかしてマッチングの需要があるのではないかと思うようになりました。

例えば、ウェブだけに限らず、カメラマン、ライター、グラフィックデザイナーなどクリエイティブな仕事ができる人たちが集まって1つのチームを作る。誰かが、名刺でも、パンフレットでも、何か作りたいなと思ったとき、そのチームに相談すれば解決の窓口として機能するのではないかと考えました。クリエイティブな製作者の横の繋がりが生まれるような、人と人を繋ぐ場がもっと盛岡にあればいろんな方々や企業のクリエイティビティをお手伝いできるし、仕事が増えればその製作者自体のスキルもあがります。仕事があることが分かれば、岩手を出て行った人も戻ってきて、I・Uターンに繋がるかもしれないですよね。

そんなことを考えていた時に、東京でリノベーションによるまちづくり事業を展開している人たちと知り合いになって、「リノベーションまちづくり」という手法に出会いました。遊休不動産を活用し、そこで小さなビジネスをはじめ、それがやがてまちの賑わいを作っていくという考え方です。私のやりたいことは人と人、そして仕事を繋げる場を作ることですが、実はそれはまちづくりの小さな小さな一歩であることに気が付き、私でもできることを、盛岡で始めようと思いました。

でも、まちづくりは一人でできるものでもなく、かといっていきなり「まちづくりしましょう」と言って始まるものではないですよね。まずまちづくりとは行政だけが行うことではなく、実際にまちに住んでいる私達が小さなことから始めることができるということに気が付いてもらえれば、それがきっかけになるかもしれないと、啓蒙活動的なイベントを行うことにしました。それが、「盛岡さんぽ会議」です。

今まで5回開催しましたが、実際に岩手で活躍している方や、普段岩手にはいらっしゃらない東京の方をゲストにお呼びし、ざっくばらんなトークセッションをしています。普段まちについて考えることは少ないと思いますが、「盛岡さんぽ会議」が、「まちについて考えてもいいんだ」「そういえばあれが足りないかもしれない」「自分達でもこれはできるかもしれない」と気付く、「自分事化」の第一歩になればいいなと思います。

12672149_954402278008433_7504886093863628920_o(写真提供:浅野聡子さん)

4.盛岡に新しい価値を生み出す「モリノバ(MORINOVA)」

浅野:人と仕事のマッチングができる場所を作りたいと思った時に、問題となるのが、私自身が盛岡に住んでいないことでした。地元の人と一緒にやることが必須だったので、それぞれやりたいことや想いを持っている仲間に声をかけて、「モリノバ」というチームを立ち上げました。メンバーは、クリエイティブディレクター、商業開発コンサルタント、不動産、建築・店舗設計、そして私の5人です。

「モリノバ」は今、盛岡市肴町にある古い建物をリノベーションして、小さな商業施設とシェアオフィスを作る「十三日プロジェクト」を進めています。その建物がある地域がかつて「十三日町」だったことにちなんで、「十三日(とみか)」という名前にする予定です。2Fをシェアオフィス、1Fは飲食店や雑貨屋にして、人と人が繋がる場所にできればいいなと思っています。今年の9月3日、4日には実際に「十三日」のお披露目イベントも開催し、建物の内覧、トークショー、雑貨やお菓子の物販をするマルシェを行いました。積極的に情報発信することで、いろいろな人に興味を持ってもらったり、具体的にイメージしてもらったり、始まる前からたくさんの人を巻き込んでいくことが大切だと思っています。

14231396_1086846581430668_5433857439409757751_o(写真提供:浅野聡子さん)

盛岡市の人口はここ10年ほぼ変わらず30万人ほどで、一見人口の流出入はないように見えますが、実際には盛南開発による人口の移動があったため、市内には人が少なくなっているエリアがあります。そのような中でも、人が集まっているスポットが点在するのですが、その中心には、自家焙煎のコーヒーのお店だったり、かわいい雑貨屋さんだったり、地域のみんなから愛される場所が存在するんです。これが本当の「まち」の姿だと思います。モリノバが作る場所が、今後地域のなかでそのような存在になって盛岡の新しい価値になっていけばいいなと思います。

「まちづくり」というと、大きな構想や目標がなくてはならないと思いがちです。しかし、そこに住む人の「このまちの、この課題を解決していきたい」という想いを一つずつ実現させていくことから「まちづくり」は始まっていくものなのかもしれません。
モリノバは、2016年10月に法人化され、「株式会社モリノバ」になりました。今後ますますの活躍が期待されます。

盛岡さんぽ http://moriokasanpo.net/
株式会社モリノバ https://www.facebook.com/moriokainnovation/