2024.3.27(水)

あまちゃんに惹かれ、洋野町へ。ローカルコミュニケーター 千葉 桃子さん

    

いわてつがくとは…

何か新しいことをはじめている人、何かを発信している人。そういった人の多くは、何かしら自分なりの「哲学」を持っているように思えます。「自分が大切にしたい哲学」を考え、見つけることは新しいことを始めるときの手がかりになるのではないでしょうか。「いわてつがく」は、そんな思いのもと、さまざまなフィールドで活躍する人たちの「哲学」を紐解いていく連載です。

千葉 桃子 Momoko Chiba

ローカルコミュニケーター/高校魅力化コーディネーター

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プロフィール:
1998年岩手県奥州市生まれ、埼玉県さいたま市育ち、岩手県洋野町在住。両親が岩手県出身であること、2013年に放送されたドラマ「あまちゃん」がきっかけで地域活性化やまちづくりに興味を持つ。大学時代は福島県、宮城県、岩手県の地域活性化や関係人口について研究。さまざまなローカルプレイヤーと出会う中で、自分も地方で働きたいと思い、新卒で洋野町に移住。現在は、高校生の探究学習をはじめ、岩手県の地域づくりに取り組んでいる。

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※インタビュー内容および所属は、取材当時のものとなります。

ー岩手県に訪れるきっかけは?

私の生まれは岩手県奥州市でしたが、家族が転勤族でしたので、色々な地域に移っていて、小学3年生から埼玉県に落ち着いて、大学卒業までは埼玉県で生活していました。

昔はやりたいことも特に明確なものがなかったのですが、色々な大学のオープンキャンパスに行く中で、「地域活性化」に取り組んでいる大学生の話を聞く機会があって、その時に「これ、すごい面白そう」と思ったんです。

私が中学3年生の頃にNHKの連続テレビ小説「あまちゃん」が放送されていて、当時は単純にドラマとして面白いと思って観ていたのですが、大学進学を考えるときにまちづくりの視点で「あまちゃん」を観返したら色々なことに気付きました。ドラマ放送当時は、舞台になっていた岩手県久慈市に多くの観光客も来ていましたが、その後だんだんと観光客も減少していく現状を知り、一時的な盛り上がりよりも、小さくても良いから常に賑わいがあるまちづくりや地域活性化に携わりたいと思って、地域づくり等も学べる昭和女子大学に入学しました。

大学入学後、東北には何度も通っていて、その中で「地域おこし協力隊」の方と出会うことがありました。その時に「関係人口」という言葉に興味を持ち始めて、大学の卒業論文でも「関係人口」を研究テーマとして取り上げました。また、東北に通う中で、自分も都会で働くよりも、地方で働きたいと考えるようになったのですが、両親からは「地方に行ってもいいけど、その時は公務員じゃないとダメだよ」と言われていました。

それでも私は地方に魅力を感じていたので、公務員試験の勉強をしながら「日本仕事百貨」というサイトを見ていたら、すごくきれいな写真が出てきてクリックしてみたら岩手県洋野町の「一般社団法人fumoto」の記事でした。その時、はじめて「洋野町」という町の存在を知ったのですが、よく調べたら「あまちゃん」に出てくる高校のモデルになっている種市高校があると知って、一気に洋野町に興味が湧きました。

その後、東京で岩手県の移住相談イベントが開催されていたのですが、その時に洋野町の皆さんと出会いました。さらに洋野町への関心が増して卒業論文でも取り上げたいと思っていた矢先、新型コロナウイルスが流行してしまい、結局、洋野町に行けないまま進路を考える時期に入ってしまいました。ただ、2020年夏に「復興・創生インターンプログラム(主催:復興庁)」として、オンラインインターンという形でfumotoの活動に関わるようになり、その後もfumotoで関係人口創出事業の求人募集があったので、洋野町に移住することになりました。

ー洋野町へ移住後、どんな仕事をされているのですか?

最初は関係人口創出事業としてfumotoに採用していただきましたが、その後はフリーランスで探究学習コーディネーターとして、岩手県内の高校の探究学習の支援に携わっています。洋野町にある大野高校、種市高校は私が洋野町に移住する前から探究学習に取り組んでいて、知り合いの方からお声がけいただいて移住1年目から関わっています。

普段は高校の「総合的な探究の時間」の一環として、学校の授業に入っています。高校の探究学習は学校によって対応は変わるのですが、私が関わっている高校を例に例えると、一人または複数人のグループでテーマを決め、そのテーマについて調べ学習をします。
調べ学習をしていく中で、学校外に出て地域の方の話を聞いてみたり、アクションしてみないとわからなかったりすることも多いので、その時に私のようなコーディネーターが、地域の方と学校をつなぐ役割を担っています。

また、他の高校では、4人ずつのグループになって町内の企業に訪問・研修をしに行くこともあります。研修を通して自分の身につけたい力を獲得するために、社会と関わることや、やりたいことを実現する難しさを知ることを目的に、コーディネーターとして企業の選定や交渉、プログラム内容を検討しています。

ー千葉さんから見て「探究学習」はどのような印象を持っていますか?

全国的に必修化される前は、やりたい子がやっていたので「ジブンゴト」として関わる子が多かったですが、必修化されることによって「探究の時間」と割り切ってやらされ感でやっている生徒も少なくない印象があります。

洋野町の高校は生徒数がそこまで多くないので、一人ひとりに先生や私のようなメンター的存在がつけるので良いですが、大規模な学校だと一人ひとり丁寧に寄り添うのが難しいです。でもその中で、ちゃんとやりたい高校生はいるので、その生徒はちゃんと引っ張っていきたいし、やりたくない生徒は無理にやらせても仕方ないかなと。

やらされで始めてみたけど意外と面白いと気づく場合もあるので、こちら側も話題提供をしつつ、火が付いた生徒にはいつでも地域の方を繋げる準備はしています。

ー探究学習コーディネーターとしてのやりがいや難しさは?

探究学習コーディネーターは今までにない仕事。地域の状況も日々変わっていくので、未知のものに挑んでいく感覚があります。トライアンドエラーが楽しいし、学びにもなります。周りの人や学校側も任せてもらっている所があるので、チャレンジできるし、自分が良いなと考えたことに挑戦できるのがやりがいにつながっています。

一方、新カリキュラムが始まったことで学校側も分からないことが多いと感じていますし、だからといってコーディネーターへの丸投げという訳にもいかないので、そのバランス感が難しいです。コーディネーターも関われるといっても、週1回程度なので、学校の先生ほどがっつり関わることもできないです。

また、地域の皆さんには、貴重なお時間を頂戴して受け入れていただくので、探究学習の意義や高校生を受け入れるメリットなどもお伝えする必要があり、その調整が難しい時もあります。それは事業者・地域住民の皆さんとコーディネーターとの信頼関係も大きいと感じています。


高校の探究学習のコーディネートを担当する千葉さん

ー町外から移住してきた千葉さんが洋野町の皆さんと信頼関係を築けている要因は?

2020年夏に参加したfumotoのインターンシップで、オンラインではありましたが町内の方々とお話しする機会があったので、洋野町に来る前からお互いの存在は知っていました。実際に来てからはfumotoの事業を通じて色々な方と関わるようになって、仕事でもプライベートでも関わるように心がけています。

こういう仕事は仕事とプライベートの境目が曖昧ですが、プライベートのつながりが仕事に繋がることも多いし、飲み会に誘われたら絶対行こうと思うし、イベントがあって知り合いが出店していたら挨拶したりと、コミュニケーションを大切にしています。

たとえば、2年前にコロナ禍でイベントが中止になる中、大野高校のPTAの皆さんが花火大会を企画して、その時にインスタライブをしてほしいと頼まれて協力したことがあります。その繋がりがあって、今も大野高校のPTAの連絡会に参加しているのですが、大野のお父さんたちはみんな優しくて、「モモちゃん、大野に引っ越してきなよ!物件も探してあげる」、「大野で何かやりたかったら相談しなよ」と言ってくれます。

その人達も役場の方もいれば、車屋さん、酪農家さんなど色々な仕事をしている方がいるので、探究学習のコーディネートの時も「このテーマならこの人に繋げよう」というのは私の頭の中でなんとなく繋がってくるのです。

ーアクティブですね…!

あと、私はランニングも大好きで。洋野町にHRCというランニングサークルがあるのですが、仕事で関わりがある方から声をかけてもらって現在も参加しています。役場の方が多くて、それゆえに何か困った時があったらすぐにその課の人に相談できるんです。

以前は洋野町駅伝にローカルチームに入れてもらって打ち上げにも呼んでいただきました。「町民より町民だね」と言われます。(笑)

ー肩書に「ローカルコミュニケーター」とありますが、どういう意味ですか?

「ローカルコミュニケーター」はfumotoの大原さんが名付けてくれました。

最初、fumotoに入った時、特段肩書がなかったので相談したところ、「ローカルコミュニケーターでいいんじゃない?」と言われて決まりました。直訳すれば「地域を伝える人」ですが、2年経って思うのは、自分が楽しむからこそ伝えられるものがあると思っています。

それこそ移住者だからこそなんでも新鮮に感じられるし、地元の人や地域の人、高校生にも伝えられるので、それをSNSでも発信しています。楽しむことも仕事だと思っています。

ー移住者として何か発見したものはありますか?

移住してきて新鮮だったこととして、大野地区の「ナニャドヤラ」というお祭りが印象的でした。大野地区の人は一体となって、ナニャドヤラを楽しんでいましたし、普段関わっている高校生もお祭りに関わっていたのも印象的で、感動しました。

当時、埼玉県を出た理由として「自分がいてもいなくても変わらない」と感じたことが大きいです。埼玉県にいた頃は、こちらに比べて人もたくさんいるし、便利だけど、洋野町は一人の影響力が良くも悪くも大きくて、自分ができることもある。

そしてそれを評価してくれる人もたくさんいるのが良いなと思いました。大都市で企業の一人として働くのももちろん意味はあるけど、私は地方で一人の影響力が大きい中で頑張りたいと思いました。埼玉にいる時は地域について関心は無くて、逆に今は埼玉の地域について調べたりすることも増えましたね。

ー今後の展望は?

ずっと洋野町にいたいと思っています。今はオンラインの仕事もしていて、洋野にいながら他の地域ともつながりながら働きたいです。あとは外から色々な人に来てもらいたいですね。洋野町には普段、大学生がいないので、種市高校に八戸の大学生を連れてきたりしていますが、今後は大学生をはじめ外の人を受け入れたり、高校生をつなげるような役割をしていきたいです。

ー最後に、同じような道を志す若者へメッセージをお願いします。

正直、教育分野はお金になりづらいと思っていますが、卒業生として関わることもできるし、地域おこし協力隊としてだけでなく、一住民としてまちづくりにも関わることができます。

必ずしもこういう仕事でなくても地域や高校生とは繋がれると思うので、何かやりたいと思う気持ちがある方は私に相談してください。自分らしい関わり方を模索してほしいですね。

投稿:Co.Nex.Us運営