いわてつがくとは…
何か新しいことをはじめている人、何かを発信している人。そういった人の多くは、何かしら自分なりの「哲学」を持っているように思えます。「自分が大切にしたい哲学」を考え、見つけることは新しいことを始めるときの手がかりになるのではないでしょうか。「いわてつがく」は、そんな思いのもと、さまざまなフィールドで活躍する人たちの「哲学」を紐解いていく連載です。
本記事は2023年11月19日(日)にアイーナ・いわて県民情報交流センターで開催された「いわてネクストジェネレーションフォーラム2023」内で行われた「いわて若者カフェ連動イベント『いわてつがく』鼎談」の内容となります。
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〇五郎丸 千尋 Chihiro Gromaru
岩手県立大学総合政策学部4年
プロフィール:
軽米町出身。岩手(特に県北)が好きで、地元をはじめとする岩手を盛り上げるべく大学生活では様々な活動に取り組んできた。大学卒業後は県外で就職、ゆくゆくは岩手に戻って自身で事業を展開したい。
〇臼山 小麦 Komugi Usuyama
大船渡市地域おこし協力隊
プロフィール:
長野県出身。都内大学卒業後、大船渡市でのインターンシップをきっかけに大船渡市へ移住。地域おこし協力隊として、ICT利活用推進に取り組む。
〇瀬川 然 Shikari Segawa
ネビラキ 代表
プロフィール:
1991年岩手県西和賀町生まれ。地元の西和賀高校を卒業後、㈱西和賀産業公社に入社。 2019年ネイチャーツアーガイドとして起業(ネビラキ)。感受性・身体性を取り戻せる故郷づくりをビジョンに掲げ、ネイチャーツアーガイドと自宅をセルフリノベーションした湖畔のカフェを営業しながら西和賀での暮らしの豊かさを模索している。
〇高橋 和氣 Kazuki Takahashi
株式会社Wakey/ファシリテーター
プロフィール:
2008年筑波大学大学院 経営管理学修士(MBA) 修了。(株)Wakeyを立ち上げ、地元の岩手県内で、ビジネスデベロップメントとして、様々なプロジェクトや新規事業の立ち上げサポート、講師業等を行う。
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※インタビュー内容および所属は、取材当時のものとなります。
高橋)最初に私の自己紹介から。盛岡市出身で2017年にUターン、現在は色々なプロジェクトの創出サポートなどを行っています。若者向けでは、「いわてイノベーションスクール」という大学生向けのプロジェクト創出の講師を務めています。今日は皆さんのお話を伺いながら議論できればと思っております。
五郎丸)岩手県立大学総合政策学部4年の五郎丸千尋です。軽米町出身でして、大学では総合政策学部の学びに加えて、課外活動も行っています。例えば、高橋さんが先ほど触れた「いわてイノベーションスクール」のプログラムで「wake&wake」というプロジェクトを立ち上げて活動しています。他には紫波町の日詰商店街の活性化の取り組みなど様々な活動に関わっていました。春からは県外で就職(※令和6年度は岩手県内勤務)する予定ですが、県外で学びながらゆくゆくは岩手県に戻ってきたいと考えています。
臼山)大船渡市地域おこし協力隊の臼山小麦です。私は長野県出身で、大学進学で東京に出て、新卒で大船渡市に移住してきました。大船渡への移住のきっかけは、学生最後の2年間はバックパッカーとして日本中を周りながら生活していたのですが、その中で岩手県大船渡市に滞在する機会がありました。その時に出会った方々から地域おこし協力隊を含め、色々なお仕事の話をいただき、今は個人事業主として大船渡市で生活しています。協力隊としては、ICT利活用推進というミッションをいただき、Webメディアの記事執筆、SNS運用などをメインで行っています。
瀬川)西和賀町からきました瀬川然です。ずっと西和賀生まれ・西和賀育ちで、高校卒業後は西和賀町の第3セクターに就職し、10年くらい働いた後に起業しました。雪深い西和賀町の自然を体験するネイチャーガイドや、錦秋湖の近くにある空き家を改修してカフェを経営しています。その他、空き家が多い地域なので、仲間と一緒に空いている空き家や旅館を利活用するような活動をしています。
高橋)それではこのお三方と一緒にお話を進めていければと思います。今回のテーマが「若者が岩手で活躍できるためには」ということで、少し主語が大きいですが、3人それぞれが活動しているフィールド・エリアの中で、どのように生活したり、お仕事しているかを踏まえていきながら、それぞれの地域の中で若者が「活躍」というより「どうしたらいきいきとできるか」について探っていきたいと思います。まず、五郎丸さんはこれまで、大学生として色々な地域を活性化させていく取り組みであったり、「wake&wake」というプロジェクトを立ち上げていましたが、その活動に関わりはじめた経緯はありますか?
五郎丸)活動のきっかけとして、私は中学生の時に不登校だった時があったのですが、その時に加入していた軽米町のよさこい団体にすごく救われた経験があります。SNSが普及して人とかかわる機会が少なくなっていく中で、結局人を助けるのは、人との会話やあたたかさでしかないと感じていたので、人と人をつなげる活動をしたいと思って、「おすそわけの精神」をアップデートしていく「wake&wake」というプロジェクトを立ち上げました。そもそも「おすそわけ」というのは、「つまらない物ですが…」というように「モノ」を媒介として渡すものですが、「モノ」があることによって会話が弾んだり、心のコミュニケーションが図れると思っていて、心の交流や幸せを「wake&wake(分け分け)する」という想いを込めてはじめました。
盛岡市・肴町商店街で開催されたイベント「Snack Jack」で実施された「wake&wake」のワークショップの様子
高橋)普通「おすそわけ」と聞いて思い描くのは「モノ」だと思いますが、五郎丸さんは「モノ」だけじゃなくて、感謝や色々な感情にフォーカスを当てて、現代に合わせた「おすそわけ」の在り方を変えていきたいと思っていらっしゃるのだと思います。これは学生の時に立ち上げただけではなく、これからもどんどん継続させていこうと思ったりしますか?
五郎丸)このプロジェクトの延長線上として考えているのは、岩手の県央や県南には人と人をつなげるコミュニティスペースがありますが、県北だとまだ少ないので、県北にもコミュニティスペースを作って岩手県内を横断するような場所を作りたいと思っています。
高橋)最近は県外に就職したとしても、「関係人口」という言葉があるように、仕事をしながら地域と繋がることはできると思いますので、継続的にできると良いかもしれませんね。では、続いて臼山さんのお話を聞いてみたいと思います。出身が長野県ということで、色々なご縁があって大船渡市に移住されたのでしょうが、バックパッカーとして日本中旅をしていく中、なぜ大船渡市を選んだのですか?
臼山)自分の感覚的には「漂着した」という表現を使っていて、たまたま岩手県に流れ着いたという感覚です。活動場所にはあまりこだわりがなく、これまで44都道府県を回ってきて好きな場所はたくさんあります。大船渡市を好きになったのは、学生時代にキャッセン大船渡でのべ2か月間ほどインターンをしていた時です。キャッセン大船渡は震災後にできた商業施設で、独特の起業風土がある気がして自分も関わってみたいと思い、インターン活動をしていました。
その時の私の姿やある程度の能力を知っていただいたうえで、「一緒に働こうよ」、「こんな仕事があるよ」と声をかけて受け入れてくれたのが大船渡でした。他の地域でも「行きたいです」と言えば「おいでよ」と言ってくれたかもしれませんが、「一緒に働こうよ」というスタンスで受け入れてくれたのが嬉しくて大船渡市に決めました。
高橋)インターンシップで入ったところで、ある程度の関係性ができたということも大きかったのですかね。
臼山)そうですね。インターンの2か月間で特にお世話になって大好きになった方が3人います。この方々に恩返しというとおこがましいですが何か貢献できれば、結果的に街のためにもなると思っていて、その3人が働くモチベーションになっています。大船渡市の地域おこし協力隊については公募のタイミングが良かったですし、ヒアリングしていただきながら受け入れ体制を整えていただいたことも非常に助かりました。
例えば、当初は市役所所属という条件だったのですが、「起業したい」という想いを伝え、個人事業主の委託型に変えてもらうなど、臨機応変に対応してもらいました。具体的には大船渡市内のコワーキングスペースの管理をしたり、ライティングの仕事を岩手に限らず色々な地域で請け負ったりしています。コワーキングスペースでは、ただのワーク利用だけでなく、イベントなども行っていて、例えば毎月読書会を開催しています。先月は、大槌・釜石など幅広い地域からの参加者がいらっしゃいました。色々な人が出会える場として機能しているのではないかと思っています。
高橋)岩手県はやはり県土が広い中で、それぞれの地域の中で交流できるような場所ができるといいですよね。では、瀬川さんにもお話を聞いていきますけど、瀬川さんはネビラキカフェを始めてからどれくらい経ちましたか?
瀬川)2019年に起業しました。私の両親は移住者で移住者2世として西和賀町で生まれ育ってきた訳ですが、両親から西和賀の自然の良さを教えられてきました。西和賀町は雪深い地域ですが、それがあるからこそ幻想的な景色であったり、イベントができたりもします。その中で暮らしていくことが良いことだと自分の中で思っていたので、小さい頃から西和賀町に関わっていきたい気持ちはあったのですが、両親からは地域を見つめなおす意味でも一回外に出なさいという教えがありました。結果的には高校卒業のタイミングで色々あって外に出られず、地元企業に就職したのですが、割とすぐ辞めたくなって(笑)。
ずっと西和賀町にいても楽しく暮らすやり方は色々あると思っていて、自分が外に出るだけでなく、外から人を連れてくることができれば、町の新しいところを発見してもらえると思い、地道に交友関係を広げて、西和賀に連れてくる活動を続けてきました。当時、自分は西和賀町の第三セクターに勤めていたのですが、そこのミッションとして「地域に職と雇用を作る」というものを掲げていたのですが、なかなか現状は変わらず、その一方で地域の高齢化、人口減少が進んで、色々な問題が出てくる中で、このままだとダメだと思って、自分の出来る所からやろうと考えました。自分は何が出来るかと考えたときに、両親から教えられてきた西和賀の自然を案内することからネイチャーガイドに繋がったり、たまたま自分が暮らしていた家が錦秋湖の近くで景色が良かったのでカフェをオープンしました。
高橋)ネイチャーガイドやカフェなど、関係人口から更に+αで滞在しやすい関係づくりにシフトしていっている印象を受けましたが、そのあたりはいかがでしょうか?
瀬川)両親は自然観察会など自然を「観る」ということを丁寧にやってきたのですが、一方私は30年間西和賀町で暮らしてきた経験があるので、その足跡を基にゲストの方とダイアログ(対話)しながら案内をしたりしています。
高橋)西和賀町は四季折々の色々な表情や自然の素晴らしさがありますが、瀬川さんが仰るようにどんどん人口減少が進み、このままでは「消滅可能性」という言葉も上がってくる中で、このままで良いのかという気持ちもどこかにあったりしたのですか?
瀬川)数字として西和賀町は高齢化率50%以上と県内で一番高齢化率が高い地域です。人口減少率も早くて、そこに対して何とかしないと思った時期もあったのですが、最近は目の前の商店が閉じてしまったり、JRも廃線の危機になったりと次々と課題が出てくることで、逆に何かしようと自分のようにカフェをやり始めたりする人が出てきていると感じるようになりました。むしろ、そのような人達が出てくるために加速させた方がいいとも思っています。
いきなり何かを新しいことを始めようとするとハレーションが起きたりすることもあるのですが、徐々に進んでいければとも思っています。西和賀町みたいなところは財政の依存度も高くて、公金もたくさん投入されている町なので、どうしても地域の人達も自分たちで何かやるという気持ちになりにくいんですよね。でも、そこを自分たちで作っていかないといけないとは思っています。
高橋)高齢化・人口減少が加速化していく地域だと変化が感じやすい・見えやすいところなのかもしれませんね。それは西和賀町だけでなく、他の地域も共通するところがあるかもしれません。臼山さんもIターンで大船渡市に入ってきて、地域の方から歓迎の言葉などあったりしましたか?
臼山)どうでしょう…歓迎されているのかは分かりかねますが、貴重な20代の人材として受け入れてもらっている感覚はあります。大船渡市には専門学校や大学がないので、進学を志す若者たちが市外・県外に出ていく現状があり、20代前後の人たちがゴソっと減少します。それゆえなのか、移住者あるあるなのかもしれませんが、いろんなものに駆り出されて忙しいです。
今は移住2年目となり、だいぶ落ち着いてきましたが、移住当初は皆さん良かれと思って地域のお祭りから農作業まで声をかけてくださいました。正直、多くの移住検討者が想像するようなスローライフの実現は難しいと感じています。若者が少ないからこそ地域は人手を欲しているし、「こんな課題があるんだけど、あなたどうにかできない?」と私たち若手移住者をスーパーマンか何かだと思っているような相談も最初の頃は多かったです。
高橋)そういう地域の方とのギャップ感をどう埋めていくかは難しいですよね。臼山さんはどのように対応しましたか?
臼山)途中から「No」と言うことも覚えていきました。そもそも私はファーストキャリアで大船渡市にいることもあり、地域の皆さんは私が何をできるのか、何をしたいのか分からなかったのだと思います。また、仕事に対するイメージのギャップを改善していく必要があると思っています。特にSNS運用やライティングの仕事は、地域の方の理解が得難いです。大船渡市内でこうした仕事で稼ぐ人はほとんどおらず、「仕事はもっと手を使って稼ぐもの」というイメージも強いと感じます。そうした中で、ICTの影響力や仕事としての可能性をきちんと伝えられるよう努力しています。
高橋)そういう時の仲間の存在や地域おこし協力隊同士のつながりはありますか?
臼山)そこが一番の課題かもしれません。自分の年代が少ないからこそ、同年代で同じように動いている人を探す難しさは感じています。最初の頃は、地域課題が似ているであろう沿岸部だけでもプレイヤーと繋がりたいと思い、場づくりをしていました。東日本大震災から12年、新たに生まれている地域課題はきっと重なる部分が多いはずです。だからこそ、他の地域と連携する必要は感じていて、今は個人的にコミュニティを一生懸命広げている最中です。
高橋)岩手県内で33市町村あって、その中にさらに細かい地区や集落がある中で、それぞれの地域で若者がどう関わるかという議論は難しいと思っています。ある程度広域的に、複数の地域に関わることも一つ考えてもいいかもしれませんよね。五郎丸さんは帰省などで軽米町に帰る時に、「これ手伝って」と声をかけられたりしますか?
五郎丸)あまり声はかけられることはなくて、先ほどのお話を聞いていて、自分の活動を振り返る中でも、若い人の力が欲しい地域に「来てほしい」と言われるだけだともったいないし、若い世代も入りづらいと思う。なんで若い世代の力が必要なのか具体的に伝えてもらえると関わりやすいです。以前、軽米町や県北地域で何かやりたいと思ってお話を聞きにいったことがあるのですが、その時は「前例がないからできない」とか、「分からない」ということでシャットアウトされたことがあって、何かしたいけど地域側もやったことがないのでイメージできない部分でのギャップはあると思います。
高橋)若者だけでなく、何か地域で新しいことを始めようと動こうとしても、前例がないことなんかは特に、「何かあったらどうするのですか」と慎重な意見を言われることもよくありますよね。その中でもチャレンジさせてもらえる所とかもあると思います。この辺りが大事だと思っていて、各自が共通しているものとして、昔からやっているものでなかなか変わろうとしない、変えていくのが難しい中で、その中で少しでもチャレンジできるような風土があるのがこれから大事になってくると思いますが、そのあたりは瀬川さんいかがですか?
瀬川)日本全体の話かと思いますが、自分がアクションしても変わらないという印象があって、実際に日本財団が調査した18歳の若者の意識調査の結果によると、「自分が社会に影響を与えられるか」という質問に対して、主要先進国の中で日本が一番低い。この雰囲気を変えないとなかなか進まないと思います。それが全体の停滞感を作ってしまっているので、みなさんも小さなことでも何かアクションを起こすことは大事だと思います。
高橋)臼山さん何か地域でチャレンジする難しさみたいなものはありますか?
臼山)自分は大学時代にセクシュアリティの研究をしてきたので今でもとても関心が高いのですが、岩手に来てから性の多様性に関する課題を感じることが多いです。セクシュアリティを学んできた自分だからこそできることがあるのではと思い、イベントの開催などに取り組んできました。ポジティブな反応ばかりでなく活動の難しさを感じています。一方で、今は「LGBTQ 大船渡」と検索をすると一番上に私が出てくるようになりました。もし東京で同じことをやっても検索にも引っかからないかもしれません。地方だと実績が積みやすい分野もあるのかなと思います。
高橋)現在は無い、または課題がある状況だからこそ、必要性を打ち出すことによってチャレンジできることもあると思いますよね。一方で、それを理解してもらう難しさもあったりしますか?
臼山)非常にあります。いわゆるセクシュアルマイノリティ、LGBTQという総称で呼ばれる方々の勉強をずっとしてきたのでその分野でアプローチしたいと思っているのですが、「自分の地域にはセクシュアルマイノリティの方はいない、都会の話だ」と思っている方が一定数います。それだと、マイノリティを取り巻く課題に対して私が声を挙げたところで届かなかったり、地域の課題として受け止めてもらえなかったりします。絶対に社会全体に関わる人権課題なのに、矮小化されていくのがつらいと感じることがあります。
高橋)一人だけで声を挙げ続ける大変さもあると思いますが、声を挙げることで「私も」という共感の声が挙がってきたりはしますか?
臼山)毎月1回、「SOGI対談」というオンラインで性について対話する場を作っていて、ジェンダー関連でモヤモヤしていることや、恋バナなどをする機会を設けています。そうした中で多くの方の声を聴いており、共感の言葉も多数もらいます。ただ、「この街では声を挙げることができない」とか、「自分のセクシュアリティのことがバレたらこの地域で暮らせない」という方が多く、共に活動する仲間を見つける難しさを感じています。盛岡だとセクシュアルマイノリティに関する団体もあるので、そういったところと連携して岩手全土で少しずつ変わっていければと思っています。
高橋)声を挙げていく難しさ、大変さもある一方で、挙げていくことで地域が徐々に変わっていくこともあると思います。瀬川さんのお話にもありましたが、人口が減っていく中で声を挙げていくことに賛同して集まってきやすいということもありますかね?
瀬川)地域はどんどん縮小していく中で、ダメになればダメになるほど、本当に大切にしないといけないものが見えてくるという感覚があって、そこを面白がるというか、可能性を感じてくれる人たちが集まってきてくれることもあります。
高橋)集まる人の中で在住者以外の方も入ってくると「関係人口」のような形につながると思いますが、在住者じゃない場合に、より当事者意識をもつ難しさみたいなものはあったりしますか?
瀬川)自分も地域外の両親が結婚して西和賀町で暮らしているので、地域の方からはある意味移住者のような感じでもあり、地域の中で「これやる必要あるんですかね」と言って少し揉めたりすることもあります。それは移住者の方の居づらさにも繋がったりすると思うのですが、「そっちの方がいいかもね」と変わっていくことが増えていけば、移住者の方や外から来た人も発言しやすくなると思います。具体的なエピソードとして、自分の地域に地元の高校を出て、地元の企業に就職した女の子がいました。
比較的安定している企業なので、就職できて周りの人たちは良かったねと言っていたのですが、彼女本人からすると同じ世代が東京とかでキラキラして働いている中で、彼女はやりがいを感じられなくなって辞めてしまいました。そのあと、彼女は周りからは「安定しているのに何で辞めるんだ」という声を受けて、モヤモヤしているという話を聞きました。彼女としてはアクションした結果なので私は良かったと感じていますが、「そういう動き(アクションや変化)があってもいいんだよ」という雰囲気をどう作っていくかが必要だと思います。
高橋)いままでの地域は定住する、ずっと一つの仕事に勤めるべきという風潮がありましたが、少しずつ変わってきていますよね。住まいや立場は変わったとしても、また違う角度で地域と関われるかもしれないし、地域の中で多様なキャリアを認め合えることができれば可能性は広がりますよね。さて、この鼎談も終盤に差し掛かってきました。
今回は「若者が岩手で活躍できるために必要なモノ・コトとは」というテーマで話を進めてきました。ここまでお三方の取り組みや課題感などをお話いただきましたが、改めて今回のテーマを聞いて、それぞれの取組みや日々感じていることから必要だと思うコト・モノについてお聞きしたいと思います。
五郎丸)やろうと言ってくれる方が一番大きいと思います。先ほど私が話したような、やりたいことがあっても、「難しい。できない。」と断られることがあったので、「やりたい」と言ったら「じゃあ一緒にやってみよう」とか「それをやるためにはどうしたらいいんだろう」と一緒に考えてくれる方がいると、若者が活躍できるかなと思います。私はやりたいことがたくさんあるのですが、学生の中にはなかなか声を挙げられない方もいると思います。相談しやすい状況を作るためにも大人の方の協力ももちろんですが、学生の仲間同士でも言い合える関係性があると良いと思います。
高橋)学生同士なら相談しあえるかといったらそうではない場合もあるのですね。その点も含めて、声を挙げやすい、相談しやすい心理的安全性をどう作っていくかが重要ですね。
臼山)私は、働き方や生き方を互いに認め合うような土壌を作っていく必要があると思っています。今は働き方としてリモートワークも普及してきましたし、私自身も「多拠点生活」を目指しています。多拠点生活をしたとて、別に大船渡を離れたいという訳ではないということを理解してもらいたいのですが、「それは定住ではない」と言われてしまうこともあります。
でも、彼らにとっての「定住」ではなくても離れていても、大船渡市のことを思い、離れながらでも大船渡市に関われている方が、一年中大船渡市にいるよりパワーがあるんじゃないかなと思っています。そういうライフスタイルや多様化していく働き方に対して尊重し合える寛容さが必要だと思います。まず私が出来ることとして、大船渡市での多様な働き方のいちロールモデルとなっていきたいです。
高橋)働き方も「こういうもの」という画一的なイメージがあったものが多様になってくる中で、臼山さんのようなモデルケースのような方がいることで、それに続く方も増えてくるかもしれませんね。それを理解できるような地域や岩手であってほしいということですかね?
臼山)そうですね。いきなり全員が理解・納得するというのは難しいですし、先ほどの瀬川さんがお話していた女性の方のお話はとても切ないなと思って聞いていました。「なんで辞めるの」ではなく、「その先で何がしたいか」を前向きに聞ける人達が地域にたくさんいたら、積極的に未来を創造する若者達も増えていくのではないでしょうか。その地域に住む、滞在するだけじゃない、多様な関わり方を推奨していけるようになればよいなと思います。
高橋)たとえば岩手で3年間くらい暮らして岩手の魅力をたくさん知った人が、仮に違う地域に拠点を変えたとしても、その地域で岩手の魅力を伝えてくれる発信者になってくれますよね。その人なりの生き方を歓迎していけるといいですね。
瀬川)臼山さんのお話も共感しますし、そういう多様な「自分のやりたいこと」を形にしている人が身近にいるといいなと思います。あとは抽象的ですけど、心の声に従って生き生きしている大人が増えると、子どもや若者もその大人の背中を見て伝播していくので、まずは大人が自分のやりたいこと、やりたくないことを理解して、はっきりと見せていくことが大事だと思います。
高橋)私もとても大事なことだと思っていて、今回のテーマのような議論も若者がどうあるべきかという話が多いですが、むしろ大人側がやりたいことをやる、挑戦する姿を見せることの方が次の世代に繋がっていくと感じました。
瀬川)かつては食べるのもしんどい時代がありましたし、上の世代の方はその苦労を経験しています。逆に今は何でも揃っている世の中で、むしろ今の若者は自分が活躍できる場だとか、自分らしく生きられる場を飢えていると思うので、自分を出していってもいいというメッセージは地域全体で伝えていくべきだと思います。
高橋)3人がお話された環境づくりも大事だと思いつつ、自分も含めて登壇者の3人より少し上の年代の自分としてコメントすると、世の中的には「現状から変わりたくない」と思う方も多いんだと思います。何かあったらどうするんだと空気感があり、でも若者には挑戦しろと言ってしまう中で、何かあったとしても「何とかなるんじゃないですか」とか「その時考えましょうよ」という空気感自体を大人側が作っていく責務はあると思っています。
では、最後に登壇者の皆さんからひと言もらえればと思います。
五郎丸)私は春から県外に就職することになるのですが、ゆくゆくは岩手に戻ってきたいと思っていますし、県北地域にも地域のみんなが交流できるスペースを作って岩手を盛り上げていきたいと思っています。戻ってこようと思ったときに「戻ってきてくれて嬉しい」という雰囲気が岩手にあるといいなと思います。
臼山)私の人生の軸は「寛容な社会を作る一助になる」です。その時々で仕事のカタチは変わっていくかもしれないですが、この軸はこれからも変わらないと思っています。現状は地域おこし協力隊として、軸と地域活性をどう結びつけられるかを日々考えているのですが、私が地域おこし活動のベースにしているのは「寛容さ」を地域活性のキーとする「クリエイティブ都市論」です。ざっくりいうと、来訪者を増やす、そうすると新しい価値観が入ってくる、そして経済が活性化していくというプロセスを理想とする考え方です。
まずは地域への来訪者が増えない限り、新しい価値観も流入せず、経済も発展しない悪循環に陥ってしまう。「クリエイティブ都市論」は自分の人生の軸に重なる部分が多いので、それに則って何ができるのか、今後も考えていきたいと思います。
瀬川)いままで社会を構築してきたものが人口減少、高齢化でボロボロになっていく中で、かつては関係性や人のつながりで生き延びてきた時代もあったのですが、豊かになりすぎて忘れてしまっている部分もあると思っています。今、西和賀町ではそれを再構築しようと思っていて、ただそれは昔の価値観を踏襲するのではなく、新しい価値観も入れながら現代版にアップデートしていくか仲間たちと模索しています。
そもそも自分が何をしたいのか、何ができるのかというのが見えにくくなってきていると思っていて、それに気付ける場所を西和賀町で作っていきたいと思っています。ただ、西和賀町には人がいないのですが、人がいれば物事が進むし、ずっといなくてもいいですし、フラッとくる旅人でもいいと思うので、もっと関わってくれたらありがたいので、これからも西和賀町に遊びに来てほしいです。
高橋)わかりやすいビジョンは提示しづらいかもしれないですが、来訪者の方や色々な方と一緒に作り上げていくような新しい関係性の再構築していくことが大事かもしれないですね。では、お時間になりましたので鼎談はここで閉じたいと思います。ありがとうございました。